読みたいな、読んでおきたいな、と思いながら読み続けられなくて、すごーく気にはなっているのだけれど、本棚で静かに眠っている本があります。


今日はそんな1冊の本のお話です。




この本の作者との出会いは、大好きだった英語の先生の言葉からでした。


「君たちは、毎日毎日幸せそうだねぇ。

 たまにはこんな本も読んでみなさいよ。」


勧められたのは、ジョージ・オーウェルのパリ・ロンドン放浪記でした。


パリとロンドンで実際に体験したルポルタージュなのですが、私はその話以上に作者に興味を持ったのでした。




ジョージ・オーウェルはイギリスのイートンの出身です。


イートンといえば、イギリスの上流階級のご子息が通う、超エリート校です。


そんな彼がなぜ、社会の最下層の人たちに興味を持って、そこに紛れ込んで生活を共にしたのか…。


そこから始まったのですが、当時本屋さんにほぼ確実にあったのは「動物農場」で、「カタロニア讃歌」はたまに、「1984年」はあんまり見たことがなかったような気がします。


私はそういう小説ではなく、短編とかエッセイの類が読みたくて、バイト代をつぎ込んで著作集を手に入れたのでした。




ところが、私は社会科音痴なので、当時の世界の社会情勢とか、政治とか、なんとか主義とかがチンプンカンプン。


オーウェルがなんとか主義に傾倒して(たぶん)、スペイン内戦で闘う、そして闘ったあと、そのなんとか主義に大いに失望したし、命の危機が迫ってイギリスに帰ってくる…。


行動力と見極めようとする眼力と決断力には敬服します。


けれど、文章の中から色んな事を理解するには、私はおバカ過ぎました(今も変わってないわぁガーン





著作集の中にひときわページ数がいっぱいある小説があって、それが有名な「一九八四年」


今日のメインのお話です。



私がオーウェルを初めて読んだのは、まだ1980年代に突入していなかったので、1984年になる前までには読んでおこう!と思ったのですけれど… 何故か避けていましたね。




読んでもいない本の事を書こうなんて、身の程知らずもいいところですが、急に書きたくなっちゃったんです。まとまるかどうか、わかりませんけど、先を続けます。



ジョージ・オーウェルには、確かに理想とする主義や、理想とする国家の姿があったと思うんです。


1950年に亡くなっているので、第二次世界大戦を経験してることからも、ファシズムとか全体主義は最も嫌っていたと思います。


でも現実は自分の思いとは裏腹な方向へばかり進んでいく…。


これだっ!と思った所へは飛び込んで行ったけど、理想が理想のままあり続けた事はなく、いつも失意へと変わっていってしまう。



「一九八四年」は、あまりのストーリーの暗さに私は継続不能となりましたが、結末だけは知りたい。


とうとう禁断のアンチョコを見てしまいました。AIさん、教えてっ笑





結論はハッピーエンドはなし




つまり、バッドエンドってやつですね。


マトリックスのネオみたいな華々しいやつでなくとも、針の穴ほどの光だけでもあって欲しい…と願ったけれど、儚い希望は無残にも打ち砕かれました。



それだけ人生で経験してきたことが、ジョージ・オーウェルにとっても失望が大きかったということではないだろうか、とつい考えてしまいました。


幸せな結末など、あり得ない。




この本に書かれているのは、現代の監視社会に通じるお話ですが、読んでると胸が痛い、息苦しくなります。


でも決して今のことを書いたのではない、ということも頭に入れて置かなければいけないと思います。


人間は昔からずーっと、こうだったのですよ。

封建時代だけがそうだったのではないのです。


じゃあ、今後もこのままなのか?

それは私たちの意識次第かとは思いますが、難しいところです。




「一九八四年」は完読できなかったけど…

結局、権力の前では、個人の力(信念)など無力なのだ、という絶望小説だと私は思ったのです。





どこにも救いがない!






本の中には救いはなかった…

そんな話があってもいいけど、現実は…



オーウェルが託したのはそこだったのかもしれませんね…