MIC代表 MOTOのBLOG -340ページ目

"Day of the Dead"

11月1日はメキシコのお盆にあたる「死者の日」。ただ、メキシコのお盆は日本のそれとは違って、「この世の人もあの世の人もみんな一緒に楽しもうぜ」っていう非常に陽気な感じなのだそう。で、その時は町じゅうスカルだらけになるらしい。スカルを模したお菓子やパン、飾り物などで街が埋め尽くされるのだとか。で、その前夜祭に当たるのがハロウィン。「死の象徴」であるスカルが、決して「恐い」とか「陰」のイメージではなく、むしろお祭り楽しくするキャラクターとなっているという、この陽気なラテン的な発想が俺の好きな「笑った顔のスカル(ハッピー・スカル」の起源なのです。ハロウィンには毎年近所の保育園の子供達が恵比寿西をパレードするイベントがある。そして、毎年近所の心あるお店の方々は毎年子供達に飴やお菓子を配っている光景を目にしていた。そして,何を隠そう我がショップはもろにそのコース上にあるのである。ということで、今年は事前にお菓子を買って準備しておき、配っちゃいました俺1人で。本当はスタッフに頼んでいたのだが、様子を見に行ったらスタッフはそれどころではなかったので、結局俺がお菓子の入ったバケツを持って店の外で「ハーイどうぞー」って。たった一人だけ恐がって(?)もらってくれなかった子もいましたが、後はみんなちゃんと「ありがとう!」って気持ちよく言ってくれたので、終わった時にはすごくすがすがしい気分だった。女の子はだいたいシンデレラ、男の子は王子様、海賊、アニメのキャラクターからジェイソンまで様々だったが、みなとっても可愛かった。そして子供達の衣装も一緒に歩く大人たちの衣装も年々エスカレートしているような気がした。もう、これは1つの恵比寿西の恒例の行事の1つとも言えるのではなかろうか?01.jpg 2.jpg尚、写真はプライバシーを守るために極力小さくしました。来年は俺も何か着ぐるみ着てやろっかなー?

運命・・・その後 PARTⅡ

昨日、29日月曜日昼過ぎ。携帯が鳴り、見ると公衆電話からだった。前日別れを告げたはずのチャズの仲間の1人、GUSTAVO(ガスターボ)からだった。「今から皆で店に行きたいんだけど、店にいるか?」というので、「OK待ってるよ」と言ったら、「じゃあ今からホテル出てタクシー拾ってすぐ向かうよ。」というので、すぐさま俺も店に向かった。その約10分後、彼らは店にやってきた。そして挨拶が終わるやいなや、チャズが長さ80cmほどに丸められた筒状のものを「Thank you! It's a gift for you.」と言いながら俺にくれた。29_03.jpgこのサプライズな出来事にすごく心打うたれた。それから、お互い2日間の出来事のお礼を言い合った。そして俺が発した一言にチャズの目が一瞬潤んだように見え、その時は正直俺もやばかった。何分東京最終日だったので彼らも次を急いでいたようだったが、最後に「店にもタグを描いてってよ」というお願いにも快く応じてくれた。そして、最後に描きあがったタグをバックに「ウエスト・コースト」&「ミック」の親睦ポーズを決めて記念撮影。29_01.jpg 29_02.jpgその後、再度LAでの再会を約束し、皆で強いハグを交わし、彼らは去ってゆきました。29_04.jpg尚、描きあがったタグは皆さんに自分の目で確認して欲しいので、ここにはアップしません。また、頂いた筒の正体は後日発表します。以上、運命的な出会い話から始まって3回に渡り綴ったチャズ・ネタは、興味の無い人にはまったく退屈な話になってしまったと思う。しかし、10年前のオープン当初西海岸ジュエリーオンリーだったMICにとって、西海岸のストリートカルチャーは最も重要な要素で、グラフィティーは西海岸カルチャーとは切っても切れない関係にあるのだということを理解いただきたい。そして、チャズという人物は、西海岸を代表する様々なカルチャーと関わるLAの重要人物なのです。また、俺を「スカル中毒」にした重要人物の1人でもあるのです。この俺の「スカル中毒」にまつわる話を、次回(11/10)発売のSENSEでは秘蔵コレクションと一緒に物語っているので、そちらも是非チェックしてください。本邦初公開のアイテムも掲載されます。ストリートの落書きから始まった、チャズの作品がしかもスカルのアートが公立のミュージアムの永久コレクションとして認定されるまでになったことは、俺が10数年前にまだ市民権を得ていなかったスカルのジュエリーを輸入し始め、その数年後に伊勢丹という老舗百貨店に納め、今では売り場の人気アイテムの1つになっている・・・ということにも何となく近いのでは・・・なんて勝手にこじつけ、少しでも自分とチャズとの距離を縮めようと思い込んだりもしてみましたが、やはり桁違いでした。チャズの年まであと19年。19年後の俺は果たしてどうなっているのだろうか?まあ、どうなっていようと、チャズのように温かく優しい人でいれればいいかな?と思います。おわり。

運命・・・その後

まさに「運命」的な再会をしてからのこの土・日は、まさに激動とも呼べる思い出深い2日となった。まず、土曜日のことから綴ろうと思う。27日(土) 台風20号が上陸し、都内は1日中大雨に見舞われた。13時、どしゃ降りの雨の中、偶然の出会いの時にした約束通りCHAZ(チャズ)とその他3名の仲間達を近所のホテルまで迎えに行った。挨拶を済ませ、全員駆け足で俺の車に乗り込んだ。そして、約束通り彼の絵の飾ってある俺の店に向かおうとした時に、「日本の家にタグ描いたことはあるの?」と聞いたら、「NO」。「じゃあ、俺の家に描いてよ。ということで進路を変え、まずは自宅に立ち寄った。そして、まずはリビングに飾ってある彼の絵の横で写真を撮り[①]、時間の許す限りタグを描いてもらった。まず、絵の入った額の裏から。彼は丁寧に絵のタイトルから描き始め[②]、気持ちと時間を込めて丁寧にタグを書き上げてくれた。俺はもっと気軽に考えていたのだが、ペンが細かったせいもあるのだろうが、彼は一筆書きの簡単なサインはせず、何本もの線からなるとても凝ったものだった。[③]その後、プレゼントでくれた彼の作品集、色紙にも描いてくれた。[④]そして、その後一息ついて、いよいよ日本初となる「家描きへ」。とは言っても、もちろん室内である。それもチャズに習ってのことだが、彼の家には全米の名だたるグラフィティー・アーティストのタグが描かれているのである。まるで彼の家の壁に書いてこそ一人前と認められるかのように皆こぞってタグを描きに来るのだという。さすがはカリフォルニア最大のグラフィティー集団、「The Seventh Letter」のキーパーソンである。ちなみに、このセブンスレターの意味を今回チャズから聞いたのだが、なるほど「アルファベットの7番目の文字がGRAFFITIの"G"だから」なのだそうである。おそらく、この意味を知る日本人はそう多くないはずである。話しはそれてしまったが、そこで選んだのは常に自分の鋭気を養う地下のトレーニングルームのサンドバックの横。[⑤]これで毎朝ますます気合が入るに違いない・・・[①]27_01_svld.jpg[②]27_02_svld.jpg[③]27_03_svld.jpg[④]27_04_mag1.jpg[⑤]27_05_wall5.jpgそして、店へ。まず、たくさんのタグを描いてもらったお礼と兄弟の契りという意味を込め、俺のブランドMIC&CO.から、彼の一番気に入ったスカルリングをプレゼントした。彼は、早速ウェストコーストを意味するギャングのサインをひっくり返し、MICの「M」を作って見せ、「一緒にやろう」と言って撮ったのが以下の写真である。そして、もちろん彼の絵の前でも同じポーズで。[⑥⑦][⑥]27_06.jpg[⑦]27_07.jpgそして、日本の蕎麦を素早く堪能し、ますます強くなる雨の中をイベント会場となる渋谷のタワーレコードへと向かった。[⑧]第1日目となる土曜日は、スライド・トークショー。彼の意味深い作品の数々を1時間近くにわたり、彼自身が丁寧に解説した。彼がイーストリバーに描いたグラフィティーに別のエリアのギャングDOG TOWNがやってきてタグを上描きしていった話や、友人だったキース・へリング他なくなったアーティスト達を弔った作品のこと等々・・・チャズ先生の講義はとても興味深く、楽しかった。学校の授業もこれぐらい楽しければずっと座っていられたんだが・・・写真は店に飾ってある"SOMOS LOCOS"の解説をしているところ。[⑨]最後には、この度発売された彼の作品集を購入した人全員に丁寧にタグを描きながらコミュニケーションをとっていたやさしい、チャズだった。最後に、同行したスタッフとともに。[⑩]このとき何故かたくさんのカメラからフラッシュが光ったので、視線がバラバラに・・・誰か決まった写真持ってる人いたら送ってください。[⑧]27_08.jpg[⑨]27_09.jpg[⑩]27_10.jpg28日(日)台風20号が去ったお陰で25度を上回る5月並のとても暖かい一日だった。2日目は、ライブペインティングを見せてくれた。前日の悪天候のせいもあってか、開始前から会場は超満員だった。そこへ仲間とともにお邪魔させてもらってきた。この日は前日と違い、DJも入りクラブさながらの雰囲気の中、チャズはかなり緊張した表情で現れ、筆を使って独特のオールドイングリッシュを丁寧に描いていった。[⑪⑫⑬⑭][⑪]28_01.jpg[⑫]28_02.jpg[⑬]28_05.jpg[⑭]28_06.jpgそしてイベント終了後、楽屋にて仲間を紹介し軽い談笑を。[⑮] 同行した魔裟斗もショーは見たものの時間が無く次の予定へ。残念ながら紹介できずだった。[⑯] そして、次の開催地大阪での成功を願いつつLAでの再会を約束し、激動の2日間に幕を閉じた。[⑮]28_08_s.jpg[⑯]28_07_1_s_2.jpgところが、この話しまだまだ続きます。今日は疲れたので、また後日。そして、この「激動」の2日の合い間には、実はこれだけではなく、もう1人の海外からのゲストを迎え入れていた「番外編」のストーリーがある。が、今はとにかくこの余韻で胸が一杯なので、そのことについては日を改めて報告しようと思う。