夕方、買物がてら散歩をしていると、建物の塀に寄りかかって今にも倒れそうな老人がいた。
「大丈夫ですか?」
声をかけて身体を支える。
「ステッキを拾ってください」
たどたどしい言葉で彼が言った。
見ると、道端に大きな杖が転がっている。
グリップには十字架がデザインされていた。
「どうぞ」
杖を手渡すと、老人はそれを手に歩きだした。
「ありがとうございます。すっかり足が弱ってしまい、ステッキなしでは歩けないのです」
「お気をつけてください」
老人は日本人ではなかった。
白人、それもヨーロッパの人みたいだ。
「よろしかったら、私の家で紅茶でも一緒に飲みませんか」
「ありがとうございます」
取り立てて用事もないのでご馳走になることにした。
老人の家は近くにある大きな邸宅だった。
表札には“Stoker”と書かれており、門柱にも十字架があしらってある。
「この名前のせいで、よく誤解されるんですよ」
彼は笑いながら言った。
「ストーカーですか?」
「ええ、女性につきまとう男じゃないかとね。あっちのストーカーはStalker、スペルが異なるんですがね」
門を開けて中に入ろうとして驚いた。
庭に池があり、そこから流れて来る水が道をふさいでいる。
「その水をまたいで入ってください」
「小さな川ですね」
「ええ、奴らは流れる水を渡ることが出来ない……」
何のことを言ってるのか判らなかった。
庭には綺麗なネギ坊主がいくつも植えてある。
「色鮮やかなネギ坊主ですね」
「いえ、これはみんなニンニクの花です。奴らは十字架と共にニンニクも恐れる」
「奴らというのは?」
「吸血鬼です」
紅茶をご馳走になりながら、さらに老人の話を聞くことが出来た。
「私の曽祖父は、奴ら、吸血鬼を研究していました。これがそれをもとに書かれた創作です」
老人が差し出す分厚い洋書を手に取り、頁をめくって驚く。
「こ……これは!」
「曽祖父が発表した『吸血鬼ドラキュラ』の初版本です」
「じゃ、ひいお祖父さんというのは」
「はい、ブラム・ストーカーです」
仰天だった。
うちの近所に吸血鬼ドラキュラの作者の子孫が住んでいたとは……
それから三時間余り、古今東西の吸血鬼や怪談の話で盛り上がった。
「昔から疑問に思っていたことがあるんですが」
「何でしょう?」
「吸血鬼ドラキュラ伯爵のモデルはワラキア公国のヴラド三世だと言われてますが、原作本の中にはヴラドのヴの字も出て来ない。ドラキュラという名前は何処から来たんでしょうか?」
「その質問に答えるには、ジョナサン・ハーカーのモデルとなった英国男性の実話を話さなければならない」
「ハーカーにもモデルがいたのですか?」
「ええ、彼はトランシルバニアの吸血鬼伯爵の城に囚われました。まず、伯爵が『ドラーッ!』と叫んで彼の左首筋にガッと噛みついて血を吸った。次に、女吸血鬼が『キュラーッ!』と叫んで彼の右首筋に噛みついて血を吸った。その『ドラーッ!』と『キュラーッ!』でドラキュラという名前が生まれたのです」
「へえ、そうだったんですか。今月末に怪談ライブをやるんですが、そこでその話を発表してもよろしいでしょうか」
「どうぞどうぞ、曽祖父のことを現代の日本の人達に知っていただければ私としても嬉しいです」
そんなわけで、怪談ライブで早速そのエピソードを紹介することになった。
「ドラキュラという名の由来ですが、まず、伯爵が『ドラーッ!』と叫んで男の左首筋にキュラッ! と噛みついて血を吸った。次に、女吸血鬼が……女吸血鬼が……女吸血鬼が……」
場内が静まり返る。
「何も言わないで血を吸った」









