
TVをつけると恋愛ドラマが映し出された。
二枚目男性と若い娘が恋を語っている。
二人とも生きた人間ではなくゾンビだ。
男の顔に見覚えがあった。
役者仲間の畑中だ。
畑中はゾンビになってからすっかり人気者になった。
生きている頃の畑中と最後に会ったのは、芝居の打ち上げの流れでこの部屋で飲んだ時だ。
その時、ツマミに買って来たアソートの小袋が一つ、目の前の皿に残っている。
演劇論を戦わせながら、朝まで日本酒とワインを飲んでは小袋を開けてつまんでいたっけ。
今、目の前にある最後の一つは、なんとなく食べ残した。
関西では、こういった一つ残しのものを“遠慮のかたまり”と呼ぶ。
あつかましいと思われている大阪人にも矜持のようなものがあり、お菓子でもなんでも残り物が一つになったら皆が手をつけるのを遠慮するのだ。
朝まで飲んでの帰り道、畑中はゾンビに襲われた。
だから、この“遠慮のかたまり”は、生きてた頃の彼の忘れ形見でもある。
四年前に始まったゾンビ禍が何処から来たのか本当は分っていない。
最初は「ハイチ風邪」などと呼ばれていた。
いつの間にか、ゾンビと人間が共存するようになり、現在では街を歩いていても見かけるのはゾンビばかりになった。
生きてる人間がぼく以外にどれくらい残っているのか不明だ。
TVに出て来るアナウンサーやタレントも皆ゾンビだし、畑中のようにドラマに登場する役者もゾンビ。
お蔭で生きてる人間であるぼくなどには出演オファーが来なくなった。
ビールでも飲みたくなり冷蔵庫を開ける。
ペットボトルのコーラしかない。
コンビニに買いに行くか。
玄関の扉を開けて立ちすくんだ。
すぐドアの前に紫色の着物を着た女がこちらを向いて立っていたのだ。
「……あの、何か?」
思わず語りかけると女は会釈し、黙って離れて行く。
ゾンビ特有の歩き方だ。
少し離れた所で振り返り、再びこちらに会釈してから去って行った。
何者だろう。
「ええ、天気ですなあ」
不意に上の方から声が響いた。
見上げると、隣の音羽さんが脚立にのぼり庭木の手入れをしている。
「本当に夏みたいですね」
返事をした。
「どちらへお出かけで?」
「いや、ちょっとそこまで」
「そうでっか」
音羽さんが手拭いで顔の汗を拭く。
音羽さんは新陳代謝のないゾンビなので、拭いたのは汗ではなく熱気に染み出した体液のようだ。
何かが手拭いに引っ掛かりひらひらと落ちて来た。
木の葉かなと思って目をやる。
落ちて来たのは葉っぱではなく、音羽さんの左耳だった。
「すんまへん、ちょっと拾っとくなはれ」
言われるまま耳を拾って音羽さんに渡す。
耳は手の中でモゾモゾと動いていた。
「この気候なんで、足が速いんですわ。あとで洗って付けときます」
そう言いながら、音羽さんは耳をポケットに入れた。
コンビニの扉には、「生肉はいりました」と大きく書かれている。
そのせいか、大勢のゾンビが店内に溢れていた。
冷蔵のウィンドウの中に、肉のパックが積み上げられている。
ぼくはビールを四缶買って店を出た。
出る間際に、イートインに掛けているさっきの紫の着物の女を見かけた。
彼女は口元を真っ赤にして生肉にむしゃぼりついている。
帰り道で、買い物帰りらしい二人の主婦が道端で立ち話をしているのを見かけた。
二人とも声が大きいので会話の内容が丸聞こえだ。
「田中さんのご主人、血色が良くて美味しかったわよ」
「水沢さんのお婆ちゃんも肉が渇いててスルメみたいに噛めば噛むほど味わいがあったわ」
「あのお婆ちゃん、ゾンビになってなかったらもう亡くなってたんじゃない?」
「あのお年だから、きっとそうね。ゾンビになった今もお元気で徘徊してるのを見かけたわ」
「あら、生きてる頃と変わらないじゃない」
ぼくが通りがかると、二人の笑い声が止まりしーんとなる。
二人共黙ってぼくの方を見ていたが、通り過ぎてから小声で何やらこそこそとしゃべっているのが分った。
公園に着くと、ベンチに腰を降ろし缶ビールを一本開ける。
「また、お会いしたわね」
いきなり声をかけられた。いつの間に隣に座ったのか、紫の着物が目に入る。
「あ、ええ……」
なんとなく相づちを打った。
「みぶさんですよね」
「はい」
「私、人間時代に何度かテレビで拝見したことがあります」
「に、人間時代ですか」
「ええ、ソンビになる前のことです。今や、この町内にはゾンビしか居ませんものね」
「そ、そうなんですか」
「ええ、生きてる人間はみぶさん一人だけ」
「ぼ、ぼくだけですか! ぼくだけゾンビにならない特異体質なんでしょうか」
「そんなことないわ。一噛みされたらゾンビに感染するわよ」
「じゃ、きっとあまりゾンビさんの食欲をそそらないタイプなんですね」
「とんでもない、美味しそうな香りを町中に振りまいてらっしゃるわよ。私だって、こうして近くにいるとむしゃぶりつきたくてたまらないくらい。町のみんなもそう言ってるし……」
帯の下から彼女のお腹が鳴る音が聞こえる。
「なら、どうして誰も襲って来ないんだろう?」
「あなた、この町のみんなからなんて呼ばれてるか知ってる?」
「……なんて呼ばれてるんです?」
「遠慮のかたまり」