コクリコ坂から/高橋 千鶴
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見に行かないつもりだったし興行成績もあまり芳しくない状態ですが、ブロガーさんの評判がかなりいいため、母と昨日見ました!


半年前に漫画を買って読んでみましたが、「果たしてこれをアニメにできるのか」と考えてしまいました。特に後半から始まる主人公たちの出生のヒミツはアニメ的にタブーではないかと。つか、今やったらダサいというか。

しかもジブリは「原作レ/イプ」に関して筋金入り。ジブリが原作をいじくりまくるからいつまで経っても漫画の実写化がめちゃくちゃになるんだろうと考えています。
そして舞台を原作の80年代ではなく60年代にすると知った時、
「けしからん、団塊に媚びおって!」と激怒したもんです。
団塊向けの商売しないと儲からないのは分かっていますが、それよりもはやおさんと鈴木Pが自分たちのオ●ニーを息子に押し付けたんちゃうのかと。
もし失敗しても息子のせいなわけだし。



ところが、よかったです。ほんとすいません。

自分はゲド戦記も見てますが、息子さんの技量は悪くないと思っています。まあアレはゲド戦記ではなくシュナの旅なわけですが。
回を重ねるごとにテーマがぐちゃぐちゃになり、ラストを投げっぱなしにする偉大な父の作品と違い、ライトでスピーディー。そしてエンタメ性にかけてはかなりのもの。
ゲド戦記は「90分」だったのですが、そんなに短かったのかと驚いたんです。


そして「コクリコ坂から」も90分。
観ている途中「これ90分なんだよね?今まだ終わりそうにないのに随分時間経ってる気がする」と思いましたし、終わった後絶対これは90分じゃないと思ったのです。
息子さんは必要最小限の情報をこまぎれにして詰め込むのが上手い。そして一つ一つ印象深いものを選んでいます。


で、話について。

原作は80年代、学校で制服廃止運動をします。まだ学生闘争の時代を引きずっていたんだろう、それにしてもなかよしでコレをやるんだからすげえなとは思っていました。
しかし人気がなかったらしく後半からは普通の少女漫画になっている。すでに80年代はシラケた時代だったからでしょう。
主人公の海は周りに流されない女の子で、みんなが私服になっても風間たちに馬鹿じゃないのかと言うおかたい面があります。


一方映画はカルチェラタンという「文化系男子」の巣窟の存続をかけて戦います。
今で言うオタクな人間が自分たちの好き勝手に使っている状態で、学校側としても外でスポーツに汗する体育会系にクラブハウスを作りたいと感じるわけです。

このオタクどもがジブリのスタッフそのものなんだろうとは思いますが、70年代を境にこういう人間が疎んじられバカにされ消えていったんだよなと。
それは「知性」であり、生意気な「自己主張」であり、個性の尊重。


最近「オールウェイズ」などやはり団塊に向けた映画があるわけですが(クレしんのオトナ帝国もこの部類)、あれは単に「昔はよかった」とテーマをぶつけてくるだけ。
昔は人情があったとか、モノはなくてもみんな明るかったとか、みんなが一つの気持ちだったとか、それは違うと思う。
モノがあって楽しむ自分がいるし、人情はそれがうっとおしい人に対して押し付けがましく冷たい。
そしてそこに理性は存在しない。


団塊の世代からちょっと上のおじさんたちと話す機会が結構あるんですが、あの辺のおじさんはとにかく「知性」があり、それを大事にしている。
いわゆる枯れ専の女子はおじさんたちが文学や哲学に造詣があるから好きなんだろうと思うんです。若い男性にはそれがないから。
そしてそういうおじさんは「みんなが一つに」なんて考えちゃいない。ただ、若い人間が知的好奇心に欠けているのを非常に心配している。


「コクリコ坂から」は60年代を人情的に捉えていない。
人情的なものは単に「風景」として流れるだけだし、煙突から出るヤバイ色の煙や醜悪な車の渋滞も見せている。
「良くもありとんでもない光景」を客観的に示してるなと思った。
はっきり言えば、60年代に関して全く違う物を主張しているんだろう。

現在本当になくしてしまったのは人情ではなく知性。だってみんな今でも誰かの為に泣くことができるし、スポーツで感動する。
しかし日本が勝たなければ感動しないし、遠くの悲しみには興味がない。

カルチェラタンの住民は、取り壊し派が多数であろうと怯まない。民主主義が少数をとりこぼして何になると主張する。
民主主義の仕組みがわかっているから生意気でも主張ができるのだ。


ただし、女子は違うんですよね。
時流を察知する能力は長けてますがもうミーハーが入りかけているし、カルチェラタンには汚くてよりつかない。
映画の海はおかたいながらもしなやかな感覚の持ち主で、「じゃあ掃除をすればいい」と提案する。
男ばっかりのカルチェラタンに掃除要員の女子が入り込み、カルチェラタンがちょっと違うものになってしまった事は否定できません。

これがよかったことなのかな?と疑問はあります。古きよき物も変わらなければいけませんが、では女子は男子の考え方についていくんだろうか。

日本は80年代から女性のサイフが幅をきかせるようになる。女性は今も元気ではある。
カルチェラタンの変貌はそれが象徴的だなとも思います。

かといって女性は黙って男性の三歩後ろをついてけとは言わない。60年代、女子は高校に通っていても大学に進むのは少数だったし男子のように知性を高めても無駄っていう風潮があったからなんだよな。

悲しい時代の食い違いだったのかもしれません。
カルチェラタンは数十年後、何の抵抗もなく壊されたんだろう、そう考えてしまう。


だから原作を曲げてまで60年代を押し出したのは正解だと思います。また、風間と海のヒミツに関しても80年代ではいかにも少女漫画でムリがありますから(しかし80年代の少女漫画はムリな設定の漫画多いけどね)。海が落ち込んでるだけじゃなく自分で起き上がったのも原作にはなかったからすごくいい。

自分は「耳をすませば」も大好きですが、ジブリはこの路線をしばらくやっていけばいいじゃないと思うくらいよかったです。ラストもキッチリしていましたし。


しかし、ちょっと関連本を買ってみましたがスタッフ達が原作を「失敗作」と言ってるのはいただけないです。
あの頃の漫画はいろいろ大変だったんだよ。「耳をすませば」は明らかに打ち切り(星の瞳を終えてすぐの連載だったのに4回で終わった)だったんですが、あの頃のなかよしで2巻(復刻版は一冊になってる)に及ぶ長さなら普通ですから。
たしかに原作の矛盾を全て拾ったとは言える。しかし映画を作るなら原作に最小限でも敬意を払って欲しいものです。

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