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スイプリの事がもう一回言いたくなったんだけれども。なにこのオチ。しかもしつこいし。


「説教くさい」「説明口調すぎる」と巷で言われているらしきスイプリ。もう一回だけ見てみようと思い再生して、なんとなく思ったざれ言です。


えっと、スイプリの構成をやっているのが「中学生日記」の方ということらしいですが‥
中学生日記というより短編ドラマが得意な方、という感じですね。


ドラマとアニメ脚本の違いは、ドラマ脚本で「こういう場面が欲しい」と要求してもロケしなきゃいけないからセリフで補う必要があるのに対し、
アニメではどんな場面も他の場面と同じように描けるため、それを遠慮する必要がありません。

あと、日本のドラマがわかりやすいのは視聴者に「一定の基準」があり、その基準の人にわかってもらわないといけないルールがあるためです。

アニメ側はなんでか知らないけど、深夜アニメを中心にそこら辺がスルーされてますね。

だからドラマは説明がくどいし、絵で見せる事を遠慮する脚本になると思います。
スイプリ脚本はアニメ向きじゃないのでは‥(スイプリが実写なら絵が足りなくてもしょうがないと思うだけ)
逆にバシヤスさんや三条さんが特撮でうまくいくのはアニメの利点を特撮に使っているということ。



あとスイプリ三回目、小学生の響がお父さんに「音楽を奏でていない」と言われ、なぜときいたら「それは自分で考えなさい」と返されて音楽をやめてしまった部分について。


自分で考えて答えを出す、それができたら一番いいのは当たり前です。教えたら甘やかしているみたいに感じますから。


しかし、児童文学を志そうとした大人が試しに初めの一節を書いてみると、だいたい同じ間違いをする。児童文学論の本にはよく書かれています。

例えば、
「お母さんがトントンと野菜を切っていると、●●ちゃんが学校から帰ってきました。
『わあいいにおい、今日は大好きなカレーだ。これから遊んで来るね』
お母さんはニコニコして『夕飯までには帰るのよ』といいました。
●●ちゃんは元気よく返事しました」
こんな感じです。


なんてことない状況に見えますが、●●ちゃんはお母さんにいい受け答えしかしないし、カレーが出てきても文句をいわないんです。好物でも毎日出されて嫌になることだってあるのに。


大人が児童文学を書くときに気をつけなきゃいけないのは、子供を親(作者自身)のいいなりにしないということ。だだをこねても大人の理解できる範疇で片付けないこと。


お父さんは響になにもしなかった。お父さんに「どうして」としつこくきかなかったこと、「才能がない」と思い込んだのは響が悪いんですが。

たしかに親があれこれ説明しても小学生の響がわからない、というのもあるし、自分から理解しなければ身につかないのですが‥
親が何もしないのに子供が勝手にいい子になるシナリオは大人のエゴが具現化したもの、という考え方もできるわけです。

「甘やかし」は、甘やかす親自身が自己嫌悪するからやらない、ということもある。

だいたい響がイヤな気持ちで弾かなければいけなかったのは遊園地の約束を破られたから。なのに責任を放棄している‥まあ親はみんな未熟ですから、子供を少なからず傷つけてるわけですが。


響がめちゃくちゃに親に泣いてみたり、直接ぶつかってよかったんじゃないかなと思うんです。ドア越しのやりとりより必要だったかなと。
そして父親が勝手にピアノ弾いて、響が勝手に理解していた。
「大人」は一貫して謝らなかった。


結果はオーライですが、親からしたらスゲー楽でしょ?


スイプリだけというわけではなく、結構ドラマ等にもあります。本当のいい子もいるだろうし、こうした方がわかりやすい、という理由で片付けることもある。
悪いわけではないです。


でも「これが説教くさいってやつか」と感じました。なんとなく‥そう思いました。うん。

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