タイトルにも書きましたがこの話題はいろいろありますので、「個人差がある」と先に提示しておきます。違う意見をお持ちでもこういう意見があることだけ胸に収めてください。
今日は終戦記念日。敗戦記念日ともいいますがどっちがいいのかよくわかりません。
日本が無条件降伏を呑んで戦争が終わりました。戦争に負けたことになります。
負けたことを悔しく思うか、負けてよかったと思うかで「敗戦」の意味が違うからです。
私は日本人ですが、その前に人間で個人です。もっといろんなカテゴリ分けができます。
どこの会社に所属しているか、何の宗教か、どんな趣味か、そんな意味でいろいろな面を持つのが人間です。決して、日本人というカテゴリだけではありません。
最近「日本はアジアを守るために戦った」とあの戦争を捉える方がいます。
これは日本人であることに誇りを持ちたい、日本に生まれたことの証明が欲しいわけでその気持ちはわかります。しかし日本人が日本に生まれたことを誇るなら、わざわざ戦争を持ち出さなくても他の事で誇れるはずです。戦後アメリカに一時占領されても頑張った人たちや、今の経済や平和な国を誇れる。
どんな大義名分があったとしても他の国を占領し文化を奪い、そしてその国民を悲しませたことは罪なんです。ダムをつくり鉄道を引いても国民の希望したものでなければ大きなお世話なんです。日本もヨーロッパも同じ。
日本は占領した国に何度も謝罪していて、「これ以上謝るな」と言う声をききます。しかし、相手が「もういいですよ」と言うまで謝罪しなければ謝罪は終わらないんです。
これは犯罪者が被害者に謝っても被害者の気が済むかどうか?という問題と同じです。
ただアメリカは日本に謝りませんね。変ですね。
だけどだからこそ日本が謝らないなんておかしいですよ。真似しなくていいと思います。
日本は負けたことで謙虚に戦争を捉え、未来に繋げる役目があります。戦争を被害者として捉えるよりただ非常に悲しいことであることを伝えて行かなければ。
自分は戦争で亡くなった人を「戦没者」ではなく「戦争被害者」と呼びます。日本も外国人も同じく、軍人も一般人も同じくする意味があります。
ですから九段下にある建物を神社とは思ってません。
あそこにいる魂はあそこに囚われているのでは?
明治に発生した「日本人」というカテゴリ、明治に発生した「国家神道」。たかだか数十年のものが戦争に行き亡くなった人を縛り付けた。
「靖//国で会おう」こう言って死んだ人の気持ちはあそこでないと浮かばれない、という人がいますが、亡くなった人の気持ちは誰にもわかりません。
本気で国のために死ぬことを誇りに思った人もいたかもしれませんが、そう思うように捩曲げた力がなんなのかということなのです。国のために死んだ人は最高の被害者です。心まで奪われたのです。
それぞれの宗教施設で、個人として弔うのが死んだ人のためになるような気がします‥
戦争は大義名分とか軍需利益とか、すべてが国やなにか大きな組織の利益で成り立っています。しかし一番下にいる人間ばかりが死にます。単に純粋に悲しいことです。どんな形であれ賛美をすることはできません。
現代もいろいろな問題を抱えています。だけど国際問題であり、個人の問題ではない。
今NHKのドラマ(旧制中学の生徒が学徒出陣する話)を見ていますが、「どんなに知識をつんでも、戦争に対し個人で何ができる?」という問いはたしかにキツイ。頭がいいはずの彼等がすっかりひっくり返ってしまいます。怖いです。
これが今まだひっくり返せないから、戦争は繰り返されるんだな、と思います。自分もこの点でどうしたらいいのか悩んでいますが、かといって「出来ないから団体で刃向かう」は間違いだと信じています。
難しい問題を投げ出したくない。絶対に投げ出しません。
そしてやらかしたことを開き直りたくない。どの国がやっていなくとも日本が最初に負けを認めないと‥
そうでなければ戦争はまた繰り返されます。そう思うだけです。
今日は終戦記念日。敗戦記念日ともいいますがどっちがいいのかよくわかりません。
日本が無条件降伏を呑んで戦争が終わりました。戦争に負けたことになります。
負けたことを悔しく思うか、負けてよかったと思うかで「敗戦」の意味が違うからです。
私は日本人ですが、その前に人間で個人です。もっといろんなカテゴリ分けができます。
どこの会社に所属しているか、何の宗教か、どんな趣味か、そんな意味でいろいろな面を持つのが人間です。決して、日本人というカテゴリだけではありません。
最近「日本はアジアを守るために戦った」とあの戦争を捉える方がいます。
これは日本人であることに誇りを持ちたい、日本に生まれたことの証明が欲しいわけでその気持ちはわかります。しかし日本人が日本に生まれたことを誇るなら、わざわざ戦争を持ち出さなくても他の事で誇れるはずです。戦後アメリカに一時占領されても頑張った人たちや、今の経済や平和な国を誇れる。
どんな大義名分があったとしても他の国を占領し文化を奪い、そしてその国民を悲しませたことは罪なんです。ダムをつくり鉄道を引いても国民の希望したものでなければ大きなお世話なんです。日本もヨーロッパも同じ。
日本は占領した国に何度も謝罪していて、「これ以上謝るな」と言う声をききます。しかし、相手が「もういいですよ」と言うまで謝罪しなければ謝罪は終わらないんです。
これは犯罪者が被害者に謝っても被害者の気が済むかどうか?という問題と同じです。
ただアメリカは日本に謝りませんね。変ですね。
だけどだからこそ日本が謝らないなんておかしいですよ。真似しなくていいと思います。
日本は負けたことで謙虚に戦争を捉え、未来に繋げる役目があります。戦争を被害者として捉えるよりただ非常に悲しいことであることを伝えて行かなければ。
自分は戦争で亡くなった人を「戦没者」ではなく「戦争被害者」と呼びます。日本も外国人も同じく、軍人も一般人も同じくする意味があります。
ですから九段下にある建物を神社とは思ってません。
あそこにいる魂はあそこに囚われているのでは?
明治に発生した「日本人」というカテゴリ、明治に発生した「国家神道」。たかだか数十年のものが戦争に行き亡くなった人を縛り付けた。
「靖//国で会おう」こう言って死んだ人の気持ちはあそこでないと浮かばれない、という人がいますが、亡くなった人の気持ちは誰にもわかりません。
本気で国のために死ぬことを誇りに思った人もいたかもしれませんが、そう思うように捩曲げた力がなんなのかということなのです。国のために死んだ人は最高の被害者です。心まで奪われたのです。
それぞれの宗教施設で、個人として弔うのが死んだ人のためになるような気がします‥
戦争は大義名分とか軍需利益とか、すべてが国やなにか大きな組織の利益で成り立っています。しかし一番下にいる人間ばかりが死にます。単に純粋に悲しいことです。どんな形であれ賛美をすることはできません。
現代もいろいろな問題を抱えています。だけど国際問題であり、個人の問題ではない。
今NHKのドラマ(旧制中学の生徒が学徒出陣する話)を見ていますが、「どんなに知識をつんでも、戦争に対し個人で何ができる?」という問いはたしかにキツイ。頭がいいはずの彼等がすっかりひっくり返ってしまいます。怖いです。
これが今まだひっくり返せないから、戦争は繰り返されるんだな、と思います。自分もこの点でどうしたらいいのか悩んでいますが、かといって「出来ないから団体で刃向かう」は間違いだと信じています。
難しい問題を投げ出したくない。絶対に投げ出しません。
そしてやらかしたことを開き直りたくない。どの国がやっていなくとも日本が最初に負けを認めないと‥
そうでなければ戦争はまた繰り返されます。そう思うだけです。
