「俺は論文がダメだと言っているんであって、おまえ自身をダメだと言ってるわけじゃない」



昔々のこと、非常に厳しいゼミにいました。毎週本を読むか博物館を見るか映画を見るかして、次の週までに「記事」のようなレポートを書かなければならなかったんです。
ただの感想文じゃなくて、それに関連する資料も引っ張って書くわけで。
いつもゼイゼイ言いながらレポートを出すも最低評価。恐ろしくてゼミに行くのもいやになってましたが卒論を書かなければならなくなりました。

しかしテーマが見つからず、いつまでたっても先生にしぼられる。若かった自分はついに泣いてしまってそこで言われたことです。



今でもあの言葉を忘れない。あの文章修練が現在すごく役に立っています。



で、何が言いたかったかというと、

「作品と人間は関係ないのではないか」ということ。

小説を読み解くときに「作者の生い立ち」「恋愛」を探ったりすることがあります。
文豪の金使いが荒くて文芸仲間に借りまくっていたなんてのはホントによくあることなんですが、
でも作品はすごいわけで。

あと、文芸評論でよくあったのが「家族関係」「マザコン」‥

いちいちプライバシーをつっつくのは女性週刊誌と同じ。


だから自分は「テキスト解釈」の論文のみを信じています。家族背景が同じでも「書く人」と「違う仕事をする人」がいますから。


だから自分は、漫画家や歌手やバンドの単位では好きになりません。


一つの作品が好きでも次の作品はよくないかもしれない。

音楽なんかはかなり差が激しくて、だからアルバムなんか簡単に買えません。ライブは楽しいけどグッズは買えない。

「売れてなかった時のがよかった」なんて戯言も、考え方によっては有り得ると思います。
最近はバンドが売れてくると何故か知らないがバラードを歌い出すから‥
ロックやってるんだからロックが聴きたいんですよ。
あと、芸人にアドリブ求めないで下さい。


一方で、どんな人であろうと良い作品は良いと思い続けたい。
その瞬間瞬間にできた作品であり、その前その後の作者とは違いますから。

(別れ話を持ち出したとき「あの時お前は愛してると言ったじゃないか」と怒り出す人が切ないのと同じ)


日刊スポーツで今年あるグループのCDが売れたという記事がありました。

彼らが何故売れるのか、それは「彼等のスタイル」に惚れ込むからだそうですが‥だから彼らの好きなブランドを買い、同じ本を読んで同じ生活をする…

一つの価値観、一つの生活スタイルに縛られていてはなにもできないし、新しい出会いもない。「このグループならハズレがない」と寄り掛かって、もし本当にダメな作品だったとしても「許す」ことになってしまいます。

それでいいならいいのですが、それは「その人」が好きなだけで、才能は無視してることになります。

その人が好きで作品も最高なら文句はないのですが…



卒業のとき、先生に言われました。

「あの時はどうなるかと思ったが本当によくやった。お前が一番心配だった。おめでとう」


自分も、自分と論文を意識的にごっちゃにしなくなったことを先生に感謝しています。