「トールラテ、お待たせしました」
美人の店員が温かい紙コップを差し出した。
全国どこへ行っても、店員が一様に「中の上」の顔立ちをしている。顔で採用しているような店。
彼はコーヒーをトレイに乗せ、少し離れたカウンターテーブルから砂糖とマドラーをつまんで二階に上がった。
まだ東の日差しがきつい。窓からは離れ、柔らかそうなソファ席に着くと、スーツからベルが鳴った。
「おはよう」
相手はディスプレイで確認している。
「仙台に着いた?」
昔から変わらない声だ。彼はまめな妻に微笑する。
「うん」
「それにしても深夜バスなんて、どうして出張に新幹線代を出してくれないのかしら。しかも直行だなんて。あなた疲れてない?」
「大丈夫」
「お得意様に疲れた顔見せたら失礼じゃないの」
彼は頭をかいた。「上がケチってるのなんてどこも一緒だよ」
でもと、妻は声をくぐもらせる。
「あなた、出張ばかりじゃないの。今日は仙台だけど、建物があるの?って場所にも行かされるじゃない」
この質問も結婚する前‥彼が就職してから変わらない。彼は眼鏡を外し、目をこすった。
「僕の仕事は営業だよ。足で稼ぐんだ」
「台所の換気扇って、そんなに需要あるの?」
「毎月給料振り込まれているだろう?スズメの涙だけど‥」
「そうね、そうですけどね‥」
向こうからゴミ収集車のメロディが聞こえる。
「あのね‥昨日なんだけど」
小さな声だった。
「‥近所の方からあなたが公園でじっとしているのを見たって聞いて‥あの、多分違うとは思うんだけど一応」
二つ先の駅前公園だろうか。
「僕は元々リストラされたように見えるからね」
「何もそこまでは」
「間違いなくそれは僕だよ。外回りだもの、少しサボってたのを見つかったんじゃないかな」
相手の疑問には先回りをすべし。人付き合いの苦手な彼に、同僚たちが教えてくれた事だ。
そして、
「そうだ、リトルリーグ、通わせてやりなよ」
「えっ、いいんですか」
コーヒーに砂糖を入れる。息子の野球は賛成だった。
「月謝の問題じゃないんだよ。ああいうのは親が大変だからね。僕も母を見て来たから」
この話題を保留しておいてよかったと彼は思う。
けれど、
「そうね、あなたはいつもベンチを温めていたものね」
無駄な徒労に終わったようだった。しかし妻は向こうで笑っている。
「じゃあ切るよ。バットとグローブ買ってやらないとな。じゃあ」
スーツに端末をしまい、全身でため息をつく。
「そっかあ‥」
見られたか。
あの公園にはもう行けない。ベンチが長くて昼寝にはちょうどよかったのだが。
だんだんと、嘘をつくのが難しくなってきた。
小綺麗に着飾った女性が前を通り過ぎた。彼の姿を縦に嘗めるように見ながら。
そう、彼はスーツを二日着替えていない。髭もあたっていない。
おまけに毎食をケチっているものだから、上着に着られているような背中になっている。
やはり、食べたほうがいいだろうか?
そう思いかけて首を振る。それでは家族を養えなくなる。
彼はコーヒーをすすりながら店内を眺めた。まだ開店し始めだ。朝食をとる会社員や、学生がちらほら。
目の前に上品そうな老夫婦が座った。役員をリタイアしたような貫禄をもつ夫、毛糸の帽子にハイカラなパンツスタイルの妻。
これから遊びに出かけるようだ。
僕はどんなに年を重ねてもああはなれないし妻もそうだ。
換気扇の営業など、とっくに辞めている。
何に付けても出来が悪かった。なんとか二流大にひっかかり、父親の紹介で会社に入れてもらった。
しかしいきなり仕事ができるわけでもなく、かといって経験を積んでも彼は失敗ばかり繰り返した。
似たような人間にも会っては来たけれど、やはりダメさ加減は自分が一番だと思う。
陰口をされるようになり、それが目に見えるようになった。
彼はそういう役回りだった。学生時代も堪えて来た。今度も我慢しようと思ったのだが、
ふと、辞表を出していたのだ。
(それにしても)
これから仕事に出かける者がいれば、ここで一息ついて帰途に着く者も見受けられる。
同じ年齢に見える女性でも、なんとなくは見分けがつく。服装が例え同じでも。
「水を一杯いただけますか」
「かしこまりました」
緑のエプロンを着けた店員がいそいそと動き、それに目をくれもせずヒールを鳴らす女性。
二十歳は越えているが、彼にとっては子供にしか見えない。ピンクの柔らかいワンピースに、丈の短いコート。集団で踊るアイドルのような化粧を施している。
彼女はソファ席の横を通り過ぎた。
赤いケリーバッグが彼の目に焼き付いた。
取っ手をつかむ指に、いくつものビーズ。
続いて緑のエプロンが走った。彼女は紙コップを受け取り、カウンター席に着く。
顔のいい学生だった。エプロンがまた、戻っていく。「何名さまですか。それでは窓の席に‥」
彼は立ち上がった。目の前にあるごみ箱に全てを入れ、一旦しゃがむ。
彼女はカウンター席で爪をいじっていた。彼が小さく声をかけると、少女特有の一旦毛嫌いしたような顔。
「なんですか」
「今ね、携帯落ちたみたいだけど‥」
「うっそマジ」
派手な手がのびて来た。
-ごめんね。
彼は魔法を使った。
仙台駅構内に黄色いテープが張り巡らされ、それを見た通勤客が目をやり、時には足を止める。
青いシートに包まれた物体が、担架で運ばれていく。
いやあ、ぶっそうだわ、中年の女性が口を押さえる。その後ろに彼は立っていた。
「立ち止まらないで下さい。ここは通路です」
駅員が数人現れて人の固まりを崩しにかかる。彼もそれに流されていった。
緑のエプロンが震えていた。「オレは水を運んだだけで‥その後の事は何も‥お客さんは出たり入ったりでいちいち把握できませんし‥怖い感じの人もいなかったし」
「ああでも」老婦人が手を上げた。「なんか会社員の人が携帯拾ったって言ってたんだけど」
その声は遠ざかる。残念だが、婦人は彼の顔など見てはいないだろう。彼に対しては背中を向けて座っていたし、顔を覚えられにくい事にかけては自信があった。
風呂に入りたい。
これから予約しておいたビジネスホテルに入って夕方まで眠るのだ。たらふく牛タンでも食べて、味噌漬けとバットとグローブを買い、夜の新幹線で帰る。
すると彼の口座の一方に莫大な報酬が、もう一方の普通口座にスズメの涙が振り込まれる。
彼女はとある企業の上役の情婦だった。しかし彼女は子供すぎた。同年齢の相手の話をする感覚で自覚なく口を開いてしまうらしかった。産業スパイに捕まる前に始末する。今回の彼の任務だった。
任務をする前、彼は二日家をあける。着替えぬまますごし、疲れる方法で移動をし、食事を粗末にして身体を陰らせ、周りに溶け込むよう、「殺し屋」に見えぬように気を使う。
いつからか彼は「魔法の指」と呼ばれるようになっていた。彼女の息の根を止めたのは、何気なく隠したデリンジャーだ。手の平に収まるほど小さな銃だが、ごく至近距離で撃てば十分殺傷能力がある。
ここで特筆すべきなのが、彼が銃を抜いて撃ち、また戻すまでが見えないほど速いということだ。
デリンジャーには彼が特殊に改造したサイレンサーがついており、何食わぬ顔で去ってしまえば、相手が死亡したと気付かれる前に逃げることができる。
凡庸な、むしろ無能そうな会社員。だが、彼の腕を見込んだ人間がいた。幼いころから射撃だけは得意だったが、出世にはつながらない。逆にその特技を馬鹿にされてもいた。
誘われた組織がどうであれ、彼が能力を買われたのは初めてだった。会社に辞表を提出した直後だったから、さらに追い立てられたかもしれない。
数年の訓練を経て、仕事を始めると一躍「売れっ子」になった。絶対に捕まらない。証拠が残っても彼にたどり着かない。欲がない。しかも、何故か未来を読む力も備わっていた。
同僚は不思議がったが、能力が全ての世界だ。彼は一目置かれる事になった。
「いらっしゃいませ」
ロビーでしっかりと実名を書き、部屋に入る。
扉を閉めて、座り込んだ。
「ごめんね‥」
殺した女性の顔が浮かぶ。眼鏡を外して目頭を抑える。
だけど、僕だって生きなければいけない。
立ち上がる。衣服を脱いでシャワーを浴びた。身体についた硝煙はこの程度では落ちないが、調べられることすらない。
(お迎えが来ない‥ということは、これが僕に定められた運命だったのだろうか)
そして少年の頃に出会ったかけがえのない親友は自分をそこへ導いたのだろうか。
だがたしかに今、想いを寄せていた幼なじみを妻に迎え、子供と暮らせている。
風呂から上がり、携帯電話を開く。
「ああ、今仕事が終わったんだ。早かっただろ、こんなもんだよ。せっかくだから何か食べて帰るよ。帰りはちゃんと新幹線だしね。バットとグローブは‥え、あいつ、選びたいんだって?生意気言うようになったなあ」
つかの間の幸せだ。自分はもう汚れてしまったけれど、何かあった時の為に莫大な蓄えをしている。
自分が家族にできるささいな事。
そんな事しかできないのだ。
携帯電話を閉じた。そしてベッドに横たわり泥のように眠る。次の仕事まで一ヶ月空けることにしている。また外をうろつく生活に戻るのだ。
彼の名は「魔法の指」。
-本名は、野比のび太。
★END★
★くだらないSSでした‥
こんなことしたらタイムパトロールが黙ってはいない気もしますが、のび太の唯一の特技ですからね‥
のび太は欠点だらけだけど、特技をもっています。他のキャラはある程度「出来る」のですが、特技と呼べるまでには達していません。むしろ弱点があるんですよね。
