夜は壁が青く光る。昼とは違う顔がある。
築30年程の校舎。天井は電気系統の配線が剥き出しだ。そして迫り来る程低い。
熱を出して運ばれた病院に似ている。音がなく、冷えた空気が肌に触れる。
―1階の東の突き当たりにある便所、あそこのウンコ部屋、いるんだってさ。
昼に田島が笑っていた。
水谷は思い出して笑った。
高校にもなって花子さんはないだろ。
見上げる。
「男子便所」と書かれた札。
蛍光灯が切れているのか、ぎこちなく点滅している。
整美委員が取り替えないんだから、サンダルに履きかえる必要もない。上履きで入ってしまう。
全てが青いタイルだ。天井はすすけている。水谷は小便器に立ってタンクを空にする。
麦茶とおにぎりが終わればグラウンドから引き上げるから、このトイレが一番近い。
わかってて言ってるんだよな、田島の奴は。
自分の窓を閉めると便器が勝手に水を流した。少しだけドキリとした。
このトイレは一定時間経つと水を流す仕組みになっている。
非常に古い作りだ。
「たしか赤い紙だと血まみれで、青い紙だと溺死だっけ」
ひとりごちて流しに向かうと、
ノックの音がする。
振り向いた。目をしばたたかせた。
三つある個室の真ん中が閉ざされている。
左手で髪をかきあげる。
―え、今いたっけ?入ったの?
それとも、オレが入る前からいた?
生理的欲求が先だったから、記憶が追い付かない。
ノックが強くなった。
え‥マジで花子さん?
蛍光灯がふと消えた。
水谷は小さく叫んだ。でも窓から外灯が差し込んでいる。しばらく我慢しているとトイレのすべてが見えるようになった。
蛍光灯がいかれた?それともブレーカーが落ちたのかな‥
どちらにしろ無機質なこの空間にいるのは無駄だ。手なんか外で洗える。
今のは気のせいにして、水谷は廊下に出ようとした。
個室が揺れた。
背中に氷を入れられたみたいに縮み上がった。
木でできた仕切りと金具がきしきし音を立てる。
「な、‥なんだよ‥勘弁‥マジ」
一回、大きな音がした。
水谷は女みたいな悲鳴をあげた。
だが。
「‥待って。行かないで‥」
か細い声が聞こえる。
ようやく合点がいき、水谷は肩で深く息をした。
なあんだ。
さっさと引き返し、個室の前に立つ。
「栄口だろ?なんだよ~、早く言ってよ。オレびっくりしちゃったよ。カミ、ないの?」
相手が生き物で、しかも知っている奴なら明かりがなかろうとどうでもよくなる。
可哀相なことに、うちのセカンドは胃腸が弱い。
かりかり、とドアをかく音がして、ああ、と小さく頼りない声が聞こえた。
水谷は辺りを見回した。さすがは整美委員だ。流しの上にも掃除具置場にもロールがない。
でも、可能性は残っている。
奥の個室に入ってホルダーの蓋を上げた。
まだ半分も使われていない紙がある。
「‥早く‥」
なるほど、この不気味な便所を使うわけだ。高校生とは言え、個室は勇気がいる。
(ひでえよな、田島)
隣でもそもそ音がする。
「あ、ごめん」
水谷はロールを外して、隣へ投げようとしたが腕を止めた。
ちらと横を見る。
洋式便器だ。
「早く‥」
笑いを堪えつつ蓋をした便器に足をかけて上がる。
いいじゃないか、投げたとこで外すかもしれないし。
ちゃんと上から渡してやろうじゃないか。
どうせ腰掛けてるんだから肝心な場所だって見えない。
驚くぞ?
仕切りに手をかけ、勢いよく覗き込んだ。
「ほーら、これでもつか‥」
手が、止まった。
足が奮え、便器の蓋が細かく鳴った。
手の震えも抑えられず、ロールが落ちた。
―中にいたのは、栄口ではなかったのだ。
見てしまった。
「あ、あ‥」
見てしまったのだ。
「‥‥!!」
もう、戻れない。
すでに叫びではなかった。
床に、ユニフォームが脱ぎ捨てられている。
アンダーも、ストッキングや靴下さえも。
素っ裸でしゃがむ阿部が、ものすごい形相でこちらを睨んでいた。
水谷は悟った。
これが恐怖の始まりだと。
★END★
