250万のりぼんっ子である。

小学生の時にりぼんと出会った。ちびまる子ちゃんはすでに連載を始めて半年ぐらい経っていた。
七五三のいとこが来ていちいちムカつく事をされる話だった。

当時から自分、「何、このヘタな絵‥なんでこんなだっさい時代の話わざわざ書くの?」と嫌悪感。

岡田あーみんだって絵はすさまじいが、あのセンスは尋常じゃなかった。消えるまでついていったさ。
だけどまる子はおもらしなんかしないし奇声もあげないし狂ったりしない。ギャグ漫画とは違う。たださくらももこの半生が書かれているだけだ。いい話らしき時もあるが、かならずオチがあり、そのオチがいつも自分の心を台なしにする。とにかく読後感がものっそ悪いのだ。

でもいつの間にか「日本人が誇るフツーの人まんが」とキャッチフレーズがつき、やがてアニメの話が出て来た。

自分、このキャッチに怒りを覚えた。

「フツーってなんだ!」

‥自分ちっさい時生意気なガキで、男子に飛びげりしたり気に入らん女子の靴川に放り込んだり、目立ちたがりで自己主張が強く、自分勝手で周りとよくぶつかり、ケンカしまくり。大事をしたわけじゃないが、いっつも母親は「もっとフツーにしなさい!」
って言うのだ。

自分は言い返した。

「フツーって何?何をすること?フツーの人はおとなしくしなきゃいけないの?」

母親は言葉につまる。何度も「フツーにしろ」と言われたが、「フツー」が何なのかは結局教えてくれなかった。

フツーってなんだろう‥

そう思いながら思春期を過ごした。合わせる方法は会得したので、一応周りとはやっていたが、なんか疲れる‥他にも「フツー」じゃない奴はいたが、それがひどいいじめに遭うのを見て耐えた。

でも専門行ったら周りが元・ゾクだったり親が右翼だったりした。酒に酔うと全部話してくれた。
授業で意見が真っ向から対立し、つかみ合いになったりはしょっちゅうだった。

でも、クラスメイトたちはみなこう言った。

「授業で発言とか、こんなん高校じゃあできなかったよね‥」ケンカはしたけど本音は語らなかったそうだ。

団塊ベビーって、校則裏校則受験で押さえ付けられてて、親と同世代の教師に「協力しあえ」「譲り合え」「でしゃばるな」と教わって来た。

だから大人になって緊縛が解けるといきなり「自分らしく」を主張し始めるのだ。自分探しにやっきになって少し見苦しいのだが。

ようやく気付く。

だあれも「フツー」ではなかったことに。

さくらももこは1965年生まれだ。自分とは一つ世代が違う。モモエちゃんとピンクレディーをみんなで愛し、バブルで騒いだ世代。「新人類」だ。

彼らはテレビで生であさま山荘事件やよど号ハイジャックを見た。でも失敗して、反体制が何の意味もなさないと気付いたときに「しらけ」が始まった。新人類はとにかく覇気がなく、がんばるのを格好悪いと思っていた。

しらけたフリしてないと「気取るな」とか言われたのだ。そういう世代がメディアを乗っ取ってたので、ひょうきん族にのっとられて消えるドリフが悲しかった。

ちびまる子ちゃんにはその「しらけ感」がずーっとあって、私は非常にイライラした。

しらけないキャラクター、藤木やみぎわさんがどれだけ醜く書かれているか(まあ‥いきってんだけど)。
しらけなくても輝いていた大野と杉山は、あきらかにまる子たちと次元が違った。

こいつらは「フツー」じゃなかったのだ。

まる子は時に嘲り、時に尊敬し、でも「あたしゃあの人たちとは違うね」としらける。

それが「フツー」の人、さくらももこなのだ。

友達はみんなちびまる子ちゃん好きだから自分は何もいわないでいる。「懐かしい」とか言うんだけど‥その頃生まれてないじゃん。それは幻想のノスタルジーだ。

あと、おもひでぽろぽろは違う角度からとらえた作品だ。こっちも見ていて辛くて、悲しくて、やっぱりイライラした。

なんであの時代の子供は埋もれる事を選んでいったんだろう。
でも新人類は今になって「自分さがし」を始めている。うちらより10歳遅く‥。この人達は一番輝くべきときにしらけ、右にならってワンレンボディコン、トレンディドラマ見ていたのだ。ある意味すごい。

でも親になって子供に「自分らしく生きなさい」と言うと。

子供は「自分らしくって、何?」と返して来て言葉に詰まるのだそうだ。

というわけで平成っ子は今、個性の押し付けに苦しんでいるらしい。親が根拠もなく言うんだからしかたないよな。

で、「なんかより処が欲しい‥」と言ってプチナショナリズムに走るらしい。

団塊ベビーから見ればモンスターである。

でも彼らだって「個性」という「フツー」に反抗しているのだ。

‥フツーって、なんだ。