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Mia_YVR

From Vancouver, Canada

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とにかくアメリカに行きたかった。
父の出張土産の、インディアンのお財布の革っぽさとか、
1ドル札のにおいとかが、子どものころの「アメリカ」の記憶。
カリフォルニアに住む、
会ったことのないアメリカ人のいとこ達の話が、遠い憧れ。

だから、この人に出会わなかったら、
今こうしてカナダに住んでる私はいなかったかもしれない。

カナダは未知の国だった。
小さいころから眺めていた地球儀の、
「アメリカ」の上の、ピンク色の国。
あと、高1の教科書にちらっと出てきたかな?

高2のある日。
友達が、「英会話習わない?」と誘ってくれた。
近所の小さな教室で、個人レッスンをしてくれるとか。
先生は、「ガイジン」。

まずはふたりでこっそり、
「ガイジン」先生の教えている姿を覗きに行ってみた。
マンションの一室。裏から回って、窓からそーっと…

「やばいよ!かっこいい!」 笑

その青年は、
いわゆる私たちが思う「ガイジン」で、
金髪、青い目、身長は190センチくらいありそうだった。
細長~い体をかがめて、生徒に何か話しかけていた。

まもなく私たちのレッスンも始まった。
「ガイジン」先生の名前は、ジム(仮名)。
カナダの、ウィニペグっていう寒い町出身。
24歳で、ワーキングホリデーで日本に来て、
少し日本語がしゃべれる。
初めて見るカナダ人。

小さなクラスルームで、ジムと友達と3人。
挨拶の仕方とか、野菜の名前とか、道順の教え方を練習した。

道順がうまく言えなかった時は、
私たち2人を外に連れ出して、
歩道橋の上から交差点を見ながら、レッスンをしてくれた。

ある日。
「日本と違って○○では…」という言い方のエクササイズ。
「○○には、僕の国の名前を入れてね。『○○では、朝シャワーを浴びます』みたく。」と、ジム。

私はずーっと、
「日本と違ってアメリカでは、朝、シャワーを浴びます。」
みたいに、「アメリカ」ばかり使っていた。
そしたら、ジムの顔が機嫌悪そうに…
最後にジムは、つぶやいた。
「僕は、アメリカ人じゃなくて、カナダ人だよ。」

17歳の私は、初めて知った。
「カナダとアメリカは、違うんだ…」

その日からちょっとずつ、
カナダを意識するようになった。

レッスンは毎週続いた。
ジムともどんどん仲良くなった。

宿題をさぼって、レッスンもだらけていたある日、
ジムに初めて叱られた。
「英語話せるようになりたいなら、やらなきゃだめなんだよ。
You have to. You MUST!」
いつも優しいジムが怒った… ショックだった。
その日から私は、宿題もレッスンもちゃんと集中するようにした。

私たちが高3になり、受験勉強に入るころ、
ジムがカナダに帰ることになった。
最後のレッスンの夜、ジムに手紙を渡して、
さよならを言って、ハグをして、友達とふたりで彼の家を出た。

振り返ったら、玄関に立ち尽くしている、
ジムのシルエットがガラス越しに見えた。
私は泣かないように、友達と冗談を言いながら帰り道を歩いた。

-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆

1年後、留学したい!と本気で思い立ったとき。
カナダにいるジムに、相談の手紙を書いた。
大学を途中でやめることを、ジムがどう思うか。
つたない英語で、複雑な思いを一生懸命書いた。

ジムの、懐かしい、全部大文字の手書きで、長い返事が届いた。
「僕は大学で、理系の専攻だった。
でも僕がやりたいことはこれじゃない、って気づいた。
日本語をおぼえて、通訳になりたいと思って、
卒業後、一からスタートした。これからも通訳の勉強を続ける。
何かに挑戦するのに、遅すぎることなんてない。
Miaが留学したいなら、すればいい。
そして、後悔は決してするな。絶対に振り返るな。」

(やばい。思い出し泣き… 笑)

「何かに挑戦するのに、遅すぎることなんてない。
そして、絶対に振り返るな。」
この言葉は、私の心に、しっかりと、深く、刻まれた。

ジムは今、日本の寒~い田舎街で、
大きな古い一軒屋に、
日本人の奥さんと、ワンちゃんとで暮らしてる。
たまに届くメールや写真。日本に帰ったら電話。
カナダ人のジムが日本にいて、
私がカナダなんてちょっと可笑しい。
ジムはいつまでも、私の先生。

そしてついに留学を決意。
しかし、第1のハードルが待っていた…。

(続く)

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小さい頃から飽きっぽかった。
習い事をいっぱいやったけど、続かなかった。
エレクトーン、ピアノ、水彩画、
そろばん、水泳、体操、テニス… 
水泳に行ったふりをして校庭で遊ぶ!
そろばん使わず、暗算で珠算5級突破!
ついには仮病を駆使する!
その頃には親もあきらめていたはず。 ^^;

そんなある日、生まれて初めてハリウッド映画を観た。
すっかりとりこになって、父にもう一度連れて行ってもらった。

映画に登場するアメリカ人の男の子が、
同じ年くらいなのに、英語を話していて、
すっごく自立してしっかりして見えた。

子供部屋は広くて、見たことのないおもちゃがいっぱいあった。
小学校に自転車で行くなんて信じられなかった。
サントラを買って何度も聞いて、場面を思い浮かべていた。

あの映画の中に入ってしまいたい!
ああやって生活したい!
アメリカ人みたいに英語でしゃべりたい!

思い込みの激しい子供だったので (^-^)
もうそれしか頭になかった。

別に英語が話せたらカッコイイとか、
将来に役立てたい、とかは全然なかった。

正直、これまでの人生、そういうふうに思ったことはない。

それより、「英語じゃないと表現できないもうひとりの自分」
が、私のなかにいるのを強烈に感じた。

マンガで覚える英語の本を買ってもらった。
小学生の女の子のご近所に、アメリカ人一家が引っ越してきて、
お友達になりながら英語をおぼえるっていうお話。

これを読んで、だいたいの日常会話や単語は身に付けてしまった。

母は、「この子、英語なら、いけるかも」と思ったらしい。
近所の女性が自宅でやっている英語教室に入れてくれた。
楽しくて楽しくて、小学校卒業まで休まず通った。

こうして、中1で、義務教育英語が始まるまでに、
英語は私にとって「語学」というよりも、
「もうひとつのコトバ」になった。

チャンスを与えてくれた親には、感謝している。
文法を暗記するよりも前に、遊びの中で、
聞いて、話すチャンスを与えてもらえたから、
中学に入ってからも、
英語は楽しいもの、という気持ちで飛び込めた。

こうして、
足が速い子や、
絵が上手な子がいるのと同じように、
私は、英語が得意な子になった。

アメリカに行きたいなーーー
という野望を胸に秘めたまま、
しかし誰に言うこともなく、
中学卒業、高校入学。

高校に入ってから英語以外はまったく勉強せず、
数学に至っては、奇跡の「0点」を取る!
でも英語だけは、楽しくがんばる。

そして、高2。ある人との出会いが、運命を変えた!

(続く)

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今の会社に入る前、面接で、
「英語3分間スピーチをしてください」って言われた。
きんちょーーーしたー (><)
私は、大学留学中の失敗談と、
それを笑って許してくれたおばあちゃん教授の話をして、
「いろんな人に助けられて過ごした留学生活、
今度は留学生をサポートする側で、社会に還元したいです!」
と言ったのだ。

留学。遠い昔のようで、最近のよう。

?年前のこの日、カナダ時間、9月1日。
生まれて初めて日本を飛び立って、
留学生活をスタートした記念日☆

あの日は、どきどきしたけど、こわくはなかった。
絶対、私の未来は明るいって信じ切っていた!
なにやら根拠のない自信と(笑)
「信じ切る」勇気が、確かにあった!
それなら今も、それはあるはず。

あの5年間があったから、
あの出会いがあって、助けられて、
偶然とは思えない偶然が重なり続けて、
一つのできごとがまた次のできごとを呼んで、
今、私が、この美しい街バンクーバーで暮らしていける。
ここに来るまで、一体どれだけの人に支えられたか?

「信じ切る」ハートと、
感謝の気持ちを忘れないために、
次回からちょびっとずつ、「思い出し日記」を書いてみます。

自分の記録用だなぁ。ずっと書きたかったんだー。(*^-^*)

(続く)