前回は、
自家用車を所有する費用構造を考えたら、
都内で自動車を持てる「余裕」のある人にとって、
現在のガソリン高騰はまだまだ大したインパクトはなく、
それどころか、高騰によって渋滞が減少し、
都内での車の使い勝手がよくなっているので、
むしろもっと使ったほうが良いのでは、と話した。
今日は、都内で車を所有する意味あいについて
もう少し書いてみようと思う。
思い起こせば90年代後半、
都内の20~30代の独身リーマンが、
週1しか使わない車を持つ行為は一般的であり、
むしろ車も持たないと1人前でないという雰囲気があった。
西荻近辺を歩くと、置物のような車の多いこと。
近隣の中古車屋を回れば、地元で下取りしたらしき
走行距離極小(1万キロ未満/年)の極上中古車は
いまだにゴマンとある。
実際、第3京浜や保土ヶ谷BPみたいな高速や
多車線の幹線道路が充実している港北NT辺りと違って、
この辺で、4車線の道路なんて青梅街道と環8くらいで、
道路事情が悪い一方、電車はむしろ便利だから、
走行距離が伸びる要素が余りないのである。
そもそも、車なんて合理的に考えたら採算が合わないもので、
実際、必要ならレンタカーを借りようと思っても、
結果的には借りるのは年に数回程度。
車が本当に必要な場面なんて、都内ではその程度である。
しかしながら、車で生計を立てている人たちは、
車をマーケティングし、売らなければいけない。
そして、マーケティングには、
それを不要とする人にまで売りつけるという特徴がある。
例えば、洋服しかり。
ロクに着ない服を買って、タンスの肥しにしてしまうだとか、
大した収入もないのに、カネを借りて遊んでしまうとかいった文脈で、
車もそれにハマル。
※銀行や消費者金融では、お金自体が商品です。
タマにはババンと(お金つかっちゃおう)なんて、
CMがあったけど、余りにストレートで趣深いです。
人間は、欲望とかのもろもろに弱い。
理詰めで考えれば、必要ないのだが
ステータスだとか、周りの目とか空気に流されたり
また、それらを煽るマーケティングによって、「買わされて」しまう。
ある人にとっては不必要なものまで売ることで、
企業は初めて超過利潤を手に入れる。
※初代カローラの広告は「+100CCの余裕」といって
実際の効果はほとんど期待出来ないにもかかわらず
サニーとの比較でそのステータス性を打ち出し
T社躍進の基礎を作ったのは有名な話である
しかしながら、最近の現実は少し状況が変わってきた。
物価全般が上がっているから、生活防衛としての側面もあるだろうが、
この春のガソリン税騒動などで
今まで余り気にも留めてなかった
車にかかる費用・税金が余りに高過ぎる現実に、
本来なら車を持つべきでない消費者が、
それに気がついてしまったという可能性がある。
例えば、
限られた資金の使い道にシビアにならざるをえない人たちから、
消費行動が変わりつつあるようだ。
近年、都内の20代が当たり前に車を持ったりしないのは
知られつつある現象である。
※背景には、男女関係で車が道具として機能しなくなっている事も
あり、これはデートで車が必須だったアラフォー世代には
信じられない話である。
その上、都内で車が動きが減っているのは
もしかすると、バブル世代?で、
今まで余り考えることなく車を今まで使っていた
30-40代も車を手放すきっかけになるかもしれない。
ステータス性が薄れ、
単に高価な移動手段としての商品だとの認知が広がれば
需要は本当に必要な量まで減るわけで
その時は、
本当に国内自動車マーケットの黄昏が来るかもしれない。
でも、今の状況になる可能性を
何年も前から警鐘を鳴らしていた評論家はいた。
運転して面白くない車ばかり作っていたら
いつか誰からも見向きもされなくなると。
まさに、その通りだと思う。
昨日のカンブリア宮殿でも、
100年前にT型フォードが普及した理由は
便利だからというより、運転自体に快感があったからと
いうのが、近年の研究で定説になっていると、述べられていた。
今も昔も、車の根源的魅力は
「運転する楽しさ」がある大人のおもちゃであり、
近年の販売不振は、それを忘れた車を作ってきたしっぺ返しなのかも
と思うこの頃である。