俯瞰しすぎると、さまよい続ける | Enjoy My Hawaiian Life in Tokyo

Enjoy My Hawaiian Life in Tokyo

〜焦らなくていい。心穏やかな、私のハワイアンライフを東京で実現させよう〜

私が撮った写真からわかった、

私の物事の味方。

 

私の話す言葉からわかった、

私の物事の味方。

 

それは、

俯瞰的すぎる、

ということ。

 

俯瞰というか、漠然というか。

 

どれも遠くから景色全体を眺めているような写真ばかり。

何か一つに焦点を当てたものは、ない。

 

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子どものころから、

学校で習うことは、

全部覚えようとしてきた。

 

例えば、

高校生のとき、

テストの範囲が教科書P23からP50だと言われると、

その内容全部を隅から隅まで覚えようとした。

 

就活の時だって、

生きたい会社が出していた数十ページに及ぶレポートを、

全部ノートに書き写して覚えようとした。

 

今だって、

何かの講演会にいったときは、

全部をメモろうとしている。

 

どれも聞き逃したくない!

どれも大事に違いない!と。

 

 

 

これはある意味、

物事全体を捉えようとしているから、

俯瞰的に物事を見ることができているともいえる。

 

でも、それと同時に、

自分にとって何が面白かったのか、

自分にとって何が大切だったのか、

自分の人生に何を取り入れたいのか、

という「自分軸」が欠けている。

 

 

 

だから、当然と言えば当然かもしれないけど、

自分の人生をどう生きていきたいのか、

という、とっても大切なことについても、

漠然しか考えられない状態になっていた。

 

 

 

頭のなかでは、なんとなく、

こうしたい、

ああしたい、

といった想像はできる。

 

 

 

私の場合は、海外に住んでみたい、

という願望。

 

その願望を持ち始めて、はや数年が経過。

 

叶いそうで、まだ叶っていない状態。

 

 

 

漠然としすぎていて、

さまよい続けている。

 

 

 

具体的に、どこに住みたいの?

と聞かれた時、

明確な答えが出てこない私。

 

それでは海外に住みたいと言ったって、

住めない。

 

どこに行くかが見えていないから、

行きようがない。

ただ単に、さまよっているだけ。

 

 

 

自分軸に基づいて、

自分の目的地を、具体化できていない。

 

 

 

海外といったって、

世界には200近くの国がある。

 

そのどこに住みたいのか。

 

自分が大切にしたいことに基づいて、

いくつかの判断基準から、

取捨選択できるはず。

 

そして、いくつか選んで、

実際に住んだらお金がいくらかかるか、

どんな食べ物があるか、

どんな仕事ができるのか…

と具体的にイメージしてみる。

 

 

 

全体を単に俯瞰的に眺めるのではなくて、

受動的に眺めるのでもなくて、

何かひとつに焦点を当ててみて、

そしていろんな角度からそれを見てみる。

 

そこには、

私だからこそ感じられるものがあり、

私にしか生きられない人生がある。

 

 

 

今の私の課題は、

自分の漠然とした願望を、

具体的な願望に落とし込むこと。

 

能動的に動いて、

俯瞰的に見るだけではなく、

いろいろな角度から焦点をあてて、

具体的に見ていくこと。

 

 

 

二宮 えり虹