『不調としてでてるけど、
それで生き抜いてきて、
今生きてるから、
その戦略は動物的に正解だった、
ってことですよね』
  


と体を整えてくれる先生に
言われたことが腑に落ちた。



頭の中の厳しい声や不安な声、
わたしのポンコツな性質に、
感謝ができた。



体の癖も、痛くなるところも、
ありがとう、
あなたたちのお陰で今があるんだよ。
不思議とふんわりと思えた。



きっかけは

古い友人から誕生日のメッセージが届いた。
親子ほどの年齢差がある。

久しぶりすぎて
わたしのLINEをみつけれなかったからと
ショートメールで送ってきてくれた。


昔、その友人と同じ職場で働いていて、
友人ともう1人仲良くしていた人と
3人で遠出をしたことを、
懐かしく話したんだよ♪
 
というメールと、


わたしの学生時代の通知表を
誕生日のお祝いとともに母が送ってきた。
(なぜ?(笑))
その先生たちのコメント内容で、


思い出したのは、 


わたしが他人軸で生きてきたと気づいて、
何かが崩れていく感覚に襲われたこと。


今まで選んだことはなんだったんだ…
と愕然としたこと。


今この現実は
その他人軸で作られた現実なのに、
幸せと思っていた現実はもしかしたら、
そうではなかったの?
どうしたらいいんだろう…と怖くなった。


今までの自分が
自分じゃなかったような、
間違ってたかのように感じたこと。




でも、そんな過去のわたし、
他人軸だったわたし。
だけど、もちろん
それだけなわけでもなく、



ちゃんと自分で判断して
決めてたこともあり
他人軸だって、
無意識だけど自分で選んでたわけで。



それを否定してしまうのは
ちょっと違うなと思った。



古い友人が今でもその人と
わたしとの思い出話に
花をさかせることが今でもあること、
そのときのわたしを好きでいてくれたから。
 

それを間違ってたかととするのは、
その大好きな人たちも
否定してしまうことにもなるんだなぁと。


先生たちの書いてくれてることは、
今他の人から言われることと
さほどかわっていないこと。



それで生きてきてて、
何も、別に、悪くなんてなかった。



自分のできないことが多いことを
ダメだと思い
どうしていいかわからないまま
高い理想をかかげすぎて、




しんどかったけど、
消えたいなぁと思ったこともあったり、
自分を責めたり
ジャッジもひどかったし、
他人軸バリバリだったし、
自分を縛る言葉も多かったけど



"しんどかった=悪い"になってた
"できない=悪い"になってたけど、


別にそんなことなかった。



"しんどかった"のはしんどかっただけ。
"できない"のはできなかっただけ。


と、線が引けた。



と、同時に
感受性が豊かで、
感情も豊かで、


友人の笑顔もこころの底から
嬉しいと感じたり、
感謝でこころが溢れたり、
学校で、友人と仲良くできていて、
そこに無理をしたりしてた自分もあったとしても

よい友達に恵まれてるのは、
あなたがその魅力を持ってるからと、
書いてくれてた先生


その、無理しちゃったり
ジャッジやしばりは
わたしを守ってくれてもいたし、


それもあったから、
過去のできごとがあって、
今につながってる。


自分を見ることを知らなかったから、
バランスが悪く、
それを責めることしか知らなかったから
理想を高く持って、頑張ってたんだ。
で、疲れて体調不良。



何もかわってない。
だけど、変わってきてる。
自分自身がとの関係が。



軽くなってるよ。
"厳しいわたし"も居てくれて大丈夫、
そのまま軽くなる。


守ってきてくれて、ありがとう。
あなたのおかげで、
今までのわたしの選択で今がある。


ありがとう。


そう思えたら、
"厳しいわたし"が
どんどんまろやかになる感覚があった。


ありがとう。


誕生日にそんな風に思えて、
よかった。
  



もちろん、
波があるのはあたりまえだから、
また、厳しい自分が
強くなるときはあるだろうけど、




ちゃんと自分の中で
境界線を引いたり、
"できないこと"と"悪い"を
イコールではなく、
分別できることが分かったから、



大丈夫。



そう思えたら、安心できた。