メモ❥―

痛みの中で生まれる、小さな光

─ 静かな気づきの道 ─


前編:『手放す』

─手放せないままの私も、少しずつ生きている


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「手放しましょう」と言われても、どうしてもうまくできない。
わかっているのに、心がついていかない。
そんな自分を責めたことはありませんか?

ある日、「手放す」という言葉が、どうしてもしっくりこなかった。
今日は、その理由を少しだけ書いてみようと思います。


─◇「手放す」とは、何かを“やる”ことではない
「手放す」という言葉は、スピリチュアルの世界でもよく耳にします。
けれど、やろうと思ってできることではなく、
心が静かに整ったときに“起こる”ことのように思います。

それは、ただ何かをやめたり捨てたりすることではなく、
痛みと向き合い、心が少しずつ整ったときに現れるもの。
そんなふうに感じます。


─◇ 「手放せない」のは、弱さではなく優しさ
よく「執着を手放しましょう」と言われます。
でも、それができない理由を
「まだメリットを感じているから」
「人のせいにしていたいから」
そう説明されることもあります。

けれど、私はそうとは限らないと思うのです。

手放せないのは、意図的にそうしているのではなく、
心がまだ痛みを抱えていて、守りたいものがあるから。
それは、ごく自然な、人の心の動きです。


─◇ 痛みと向き合うということ
長年抱えてきた思い込みや、
人との関係で身についた反応の癖。

「もう必要ない」と頭ではわかっていても、
それを手放すのは「過去の痛み」にもう一度触れることでもあります。

自分の中の痛みと向き合うこと。
それは、ときに深く、過去の記憶や感情を呼び起こすものです。

怖いのです。
また傷つくのが。
だから、どうしても手放せない。

それなのに、「できない」「難しい」と自分を責めてしまう。
でも、心がまだ、その痛みに触れる準備ができていないだけかもしれません。


─◇ それでも、少しずつ歩いているかもしれない
だから、私は思います。
「手放せない」と感じていることも、
少しずつ“手放す道の途中”にいるのかもしれません。

今、苦しいと思っているその時間にも、意味がある。
それは、「自分の痛みに耳を傾けはじめた」証だからです。

手放すというのは、「もう大丈夫」と思うことではなく、
「私は本当は、これがつらかったんだ」と気づけること。

その中で少しずつ、
「自分は本当は何を感じていたのか」に気づけたなら、
静かな癒しがはじまっていくのだと思います。


─◇ この文章を届けたい人へ
・「手放したいのに、できない」と感じている人
・過去の出来事や人間関係にまだ痛みを抱えている人
・自分を責め続けてしまう人
・「もう頑張れない」と感じながらも、前に進もうとしている人


どうか知っていてください。
「手放せない」と感じている今も、
それは、“手放すための静かな準備期間”にいるのかもしれません。

そして、泣きながらも自分の痛みに耳を傾けるその時間の中で、
心の奥に小さな光が生まれはじめていることもあるでしょう。

その光を感じながら、次の一歩をゆっくり踏み出せるかもしれません。