メモ❥―
痛みの中で生まれる、小さな光
─ 静かな気づきの道 ─
後編:手放すとは、“力が抜けた本来の状態”
「手放す」というのは、
何かを“終わらせる”ことではなく、
ただ、もう一度深く息をすることなのかもしれません。
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泣き疲れた夜のあと、
ふと力が抜ける瞬間があります。
それは、心が静かに痛みを受け止められた合図、
ようやく“自分に優しくなれた”合図ののように思います。
─◇ “頑張って手放そう”とするほど、心は固くなる
私たちは苦しみを知っているからこそ、
怖くて、また傷つくのが嫌で、何かを握りしめてしまいます。
それは心の防衛反応であり、生きる力の現れでもあります。
でも、ずっと握っていると、
だんだん力が入りすぎてしまう。
思考が本当の気持ちを見えなくしてしまうこともあります。
「頑張って手放そう」とする、その“頑張り”が、
逆に緊張を生み、心を固くしてしまうのかもしれません。
─◇ 静かに訪れる“手放す瞬間”
泣いても泣いても涙が止まらない夜。
「もう何も残っていない」と感じたとき。
生きている意味さえ見失い、
「これ以上自分を壊したくない」と泣き叫ぶ夜。
そんなとき、ふと訪れる静かな瞬間があります。
「もういやだ」「もういい」と、力が抜ける瞬間。
それは、無理に何かをしようとして得た結果ではなく、
心が、自分の痛みをまるごと受け止められたとき。
そのとき、少しずつ手放すことがはじまるのかもしれません。
─◇ 手放すとは、“力を抜いて生きる”こと
自分の心が「もう大丈夫」と思えるよりも、
「何が嫌だったんだろう」と気づけたときに、そっと手放せるのかもしれません。
だから、無理に「手放さなければ」と思うと、
それは無意識に力が入ってしまうもの。
そんなときは、意識して体に力を入れてみる。
そして、ゆっくり力を抜いてみる。
その両方を通して、心と体の準備が整ったとき、
少しずつ変化していくのかもしれません。
今、まだ痛みの中にいても、
自分の痛みに向き合いながら、泣きながら少しずつ歩いている。
そして、ふと気づいたとき、心の奥に小さな光が差し込むこともあるでしょう。
─◇ 静かな時間を持つこと
外に向けていた目を、少しだけ休めて、
静かにひとりで“好きなこと”をしてみる。
その時間の中で、ふっと力が抜けて、
自然と自分に還ることがあるかもしれません。
私もまた、
何を手放さなければならなかったのかに、
少しずつ気づいている途中です。
─◇ このブログを読んでくれた方へ
もし今、心が苦しくても、
それは「手放す準備を始めている」サインかもしれません。
「本当は何が嫌だったのか」に気づけたとき、
少しずつ、手放しははじまるのかもしれません。
その痛みを抱えたままでも、
あなたは、ゆっくりとその道を歩きはじめています。
そう思えたなら、子どものころのように、
“好きなことをやってみる”時間を少しだけ持ってみてください。
きっとその中に、静かな光がそっと差し込んでくる瞬間があると思います。
─◇ 最後に
涙のあとに、静かな光がそっとあなたを包みますように。
どんなときも、あなたの心に小さな希望が灯り続けますように。
