四十九日を迎える前日、私の幼馴染の友人がお花を持って訪問してくれました。
葬儀にも来てくれていたのですが、ゆっくり話す時間もなく、
久しぶりにゆっくり話す事ができました。
幼馴染の友人は、私と家も近く、まだ幼児の幼い男の子と女の子の育児をしています。
そんな友人はこの日、
『私ずっと謝りたくて。』
と、涙を流し始めました。
『〇〇ちゃん(私)が大変な時、私何もできなかった。
おばちゃん(私の母)から何となく聞いていたけど、
連絡してもいいのか、何て声を掛けていいかわからなかった。
葬儀で気丈に振る舞っている〇〇ちゃん(私)の姿を久しぶりにみて、
あんな風にしーちゃんらしい葬儀を考えて、
見送ってあげて、すごいなぁって。
自分の母親の葬儀の時は、私、全然だめで。
〇〇ちゃんみたいにできなかった。
本当に凄いと、思った。
何をしていいか、どう接していいか、連絡もしていいものか迷って、
全然知らない事もあって、無神経に子どもの年賀状とか送ったりして、
配慮ができてなくて、本当に申し訳なかった。
結局、何もできなかった事を謝りたい。』
と、涙を流しながら話してくれました。
そんな事ないよ。。。
謝ることなんて、何一つない。
友人は、ずっと、良くなってほしいと娘のことを願ってくれていたし、
あの時の私は、きっと、そっとしておいてほしかったと思うから。
そっとしてもらう事が優しさでもあったからね。
元気な子どもを育児している人たちは、キラキラしているように見えて、
希望に満ち溢れていて、楽しそうで、
とにかく羨ましくて、見るのが辛い時もあった。
その友人の事ではないですが、
他の人の育児の不満を聞くたびに、
(悩みに大小あるわけではないのですが)
我が子が健康なのに、何の不満や悩みがあるの?
元気なんだから。
健康な体に産まれて、元気に成長していってることに、先ず感謝しないと…
病院では病と闘う小さな子どもたちがいっぱい。
健康な事は当たり前じゃないんだから。
と、思ったりしてしまって、捻くれていて、
そういう場所を自然に避けていました。(今もかもしれません)
そっとしておいてほしかったから、それで良かったんだよ。
その幼馴染の友人は、20年前に自分の母親を癌で亡くしています。
私も、その時、何もしてあげられなかった。
自分には何も出来ない。
自分が何かしたところで、きっと力になれない。
そう、思ってうやむやにここまできてしまった。
自分の母親に孫を見せたかっただろうし、
母親が居ない初めての育児も不安があっただろうし、
苦労した事もあっただろうし、
寂しい思いをして過ごしていたと思います。
私もあの時、何もできなかった。同じ。
この時、今でも申し訳なく思ってる事を私も伝える事ができました。
この時にも綴っていましたが、
その立場になって気付くこともある。
改めて、そう感じました。