初発治療の振り返り | 神経芽腫の娘のこと

神経芽腫の娘のこと

2017年12月3歳9ヶ月、小児がん神経芽腫と診断され、再発を繰り返しながらも懸命に生きた証、治療や娘との大切な時間をどう過ごしたか、それからの事、子どもを亡くした母親の気持ちを綴っています。2023年2月14日永眠。アメンバー申請の際は自己紹介メッセージをお願いします


娘の病気。小児がん、神経芽腫。



同じ病気で闘うどなたかの参考になればと、振り返ってみます。



神経芽腫は、5歳未満の小児に多く見られ、(小学生高学年から発症したお友達とも数名出会いましたが)



腫瘍には悪性度の高いもの、自然に小さくなっていくものなどもあるそうです。



神経のあらゆる箇所から容赦なくがん細胞を作り出します。



そして、骨髄に転移しやすく、そこからあちこちの骨に転移します。




神経芽腫の原発箇所の半数は、副腎髄質から発生します。



その他では、頸部、胸部、骨盤部などからも発生するそうですが、



娘の原発は半数以下である、後縦隔(こうじゅうかく)からでした。



そして、骨髄と、ほぼ全身の骨に転移しており、



3歳という年齢からもステージ4と告知されました。(1歳未満は比較的予後良好と言われています)



以前にも書きましたが、わかった頃には、頭蓋骨の腫瘍が内側に脳を圧迫し、



すぐに、開頭手術で腫瘍を摘出してもらいました。



そのあと、化学療法に入り、



IREC(イリノテカン、エトポシド、カルボプラチン)を1コース。



98A1(シスプラチン、エンドキサン、オンコビン、テラルビシン)を4コース。



の計5コースの抗がん剤治療。



3コース終わったぐらいには、全ての骨転移が画像上消失され、



骨髄も陰性になり、寛解状態に近づきました。
(この時点で原発は残っていました)



そして、大量化学療法(イホマイド、アルケラン)による自家移植。



その後、原発を摘出する手術。



そして、前処置にフルダラ、アルケラン、エトポシドを使った臍帯血による同種移植をして、



約10ヶ月の入院に渡り、初発の治療を終えました。



放射線照射をどうするか。



原発箇所に照射すべきか。



悩ましい選択肢がありました。



だけど、オペで目に見える範囲は全てとってもらいました。



放射線のリスクも考えて、この時は、「照射しない」と先生と話し合って決め、



治療を終え、退院しました。



娘の初発は、このような治療でしたが、



病院によって、治療法も全然違い、



中には、臍帯血移植を勧めない病院もあるそう。



娘の病院は初めから臍帯血移植もプロトコルにあったので、



するのが当たり前と思っていたから、迷いはなかったですが、そこは驚きました。



『骨髄に転移があると、臍帯血移植をしないと再発率があがる』



と、名大病院の教授も仰っていました。



もちろん、移植は命懸けの治療であるし、



移植したから絶対治る。とも言い切れず、



簡単に決めれる事ではありません。



娘の初発の治療はもう5年も前の話ですので、医療も進み、



病院によっては、治療法や、使う抗がん剤の種類も全然違いますが、



同じ病気で闘う子どもやそのご家族。




どなたかの参考になればと、発信します。




そして先日、とても嬉しいメッセージが届きました。




(メッセージ拝借致しました)




このような方々のお力が、医学を発展させ、



未来の子どもたちへと繋がっていくのだろうと、信じています。



ありがたいです。



初発時。








振り返ると、笑っている事が多かったです。




幼い年齢というのもあるかもしれませんが、




過酷な治療をしていたのに、何でこんなにいつも楽しそうにしていたのかな。




3.4歳ながら、病院も楽しい。と言って、




「病院も楽しい場所」と認識していたなぁ。






この笑顔があったから、ママも諦めずに一緒に頑張れたんだよ。




よくがんばったね。


つづく。