最期の会話 | 神経芽腫の娘のこと

神経芽腫の娘のこと

2017年12月3歳9ヶ月、小児がん神経芽腫と診断され、再発を繰り返しながらも懸命に生きた証、治療や娘との大切な時間をどう過ごしたか、それからの事、子どもを亡くした母親の気持ちを綴っています。2023年2月14日永眠。アメンバー申請の際は自己紹介メッセージをお願いします


【2023年2月14日の出来事】


娘は、『ママ!!早くフェンタニルいれて!!』



と、言っていました。



早くフェンタニル届かないかな。早く痛みをとってあげてほしい。



と、もどかしい気持ちでいっぱいでした。



やっとフェンタニルが病室に届き、点滴に変え、



痛みは少しだけ良くなったかな。という程度。



そして、採血結果が一通り出ました。



ちょうどこの日も、当直に血液の先生がおられ、別室に呼ばれました。



その間、娘はお兄ちゃんに任せる事にしました。



採血結果を見せてもらいました。



ヘモグロビンは5。血小板も5。



ついさっき赤血球は入れたばかり。



加えて、また危険な数値の項目がありました。



血液ガス。



体のpHが酸性にかなり傾いている。と。



酸性に傾くと、頭痛や心臓の機能を低下させてしまい、



免疫力の低下、貧血、低血圧になってしまう。



上手く血液を体に循環できない状態でいる。と。



それを改善させる為に、



大量の輸液と、pHを弱アルカリ性に傾ける薬、抗生剤を投与します。



それから、赤血球の輸血をします。



これらをして、改善されるかもしれないし、



もしもの事も起こり得る可能性もある。



それは助けられないという事。



うろ覚えですが、そのような説明を受けました。



今までもこんな緊急事態は、乗り越えてきたから、



きっと大丈夫。



輸血したら、また楽になるはず。



そう信じたい気持ちでいましたが、今までの様子から、



いつもと違う。



そんな雰囲気や、娘の状態を見て感じました。



息子からLINEが来ていました。



「ママはやく戻ってきて。様子がおかしい。」



と、病室へ戻ると、息子は看護師さんと2人で娘の手を握ってくれていました。



思った他、娘の状態は深刻で、



目は開いていたけど、意識が朦朧としていました。



『ごめん!ママ戻ってきたよ。不安にさせてごめん。』



と、伝えましたが、目は開いているけど、様子がおかしい。



そして、なかなか血圧も上がらず、



フェンタニルが効いてきたのか、もう疲れ果ててしまったのか、眠たくなったのか、



娘は、私を確認して安心したのか、



目を閉じてしまい、眠ってしまいました。



酸素は5リットルで97前後をキープ。



脈は140や150、時には70や80に落ちる事もあって、かなり不安定。



この時点で朝の4時頃。



一生懸命呼吸をしているように見えました。



そこから娘が目を開ける事はありませんでした。



最期の会話が、



『ママ!早くフェンタニル入れて!』



でした。