連日、悲しい投稿になると思います。
感情移入してしまって読んでいて辛い。
と、思われる方も中にはいらっしゃるかもしれません。
ごめんなさい。そのように感じられる方は、スルーして下さいね。
改めて、文章にする事で、気持ちも落ち着いたり、
自分自身の気持ちの整理にもなっているのです。
昔から、作文を書く事や、小説を読む事が好きでした。
因果関係は分かりませんが、ブログを書く事も嫌いではありません。
娘の病気と向き合う為でもあるし、
娘の頑張った証として、
覚えているうちに書き残します。
【2023年2月14日の出来事】
時刻は深夜1時頃。やっと救急車が到着。
向かってる間、SpO2は80から90台。
搬送中、酸素を10リットル流すことも。
あんなに大嫌いだった酸素マスクを、
娘は、自ら口にあてていました。
『苦しくない?酸素マスクすると楽になる?』
と、聞くと、頷く。
苦しさよりも、痛みの方が辛かった様子。
途中、何度も何度も
『ママの事わかる??』
と、確認していました。
救急車でも病院まで30分かかりました。
やっと病院に到着し、
娘は、『痛み止め早く入れて!』と、看護師さんに訴えていました。
フェンタニルはすぐに用意できる薬ではないので、
とりあえずアセリオを入れてもらうも、ほとんど効きません。
血圧が上手く測れません。
酸素は10リットル入れて97ぐらいをキープしていました。
苦しさはあまり感じていない様子。
生食を時間500で流しました。
その間、採血をし、血圧を何度もトライ。
やっと測れた数字はやはり低い。
病棟へ上がる事になりました。
その間も、痛みがきつくなったり、治まったり、
だけど、唇の色が真っ白…
今までの様子とは違う。
胸騒ぎがして、自分の心拍も上がっていました。
救急車に乗る前、自宅のポストに大好きな人たちから、
娘宛に贈り物が届いているのを見つけ、
咄嗟に、それらを手に取り、救急車へ乗り込みました。
その贈り物は、
名古屋のモケケと、お手紙と可愛いバレンタインのチョコレートでした。
病室のベッドの娘の枕元に置いてあげました。