転棟 | 神経芽腫の娘のこと

神経芽腫の娘のこと

2017年12月3歳9ヶ月、小児がん神経芽腫と診断され、再発を繰り返しながらも懸命に生きた証、治療や娘との大切な時間をどう過ごしたか、それからの事、子どもを亡くした母親の気持ちを綴っています。2023年2月14日永眠。アメンバー申請の際は自己紹介メッセージをお願いします


2021年7月



院内学校で、フラワーコンサート





という、前期の一番のイベントがありました。





こどもたちは、お父さん、お母さんに披露するため、





手話合唱と、合奏の練習に励んでいました。






娘はトライアングルを担当しました。





3曲も披露してくれて、






一生懸命覚えて、みんなで練習して、






そんなこどもたちの勇姿に、感動して泣いてる親御さんも多く、






私も色んな想いが込みあがりました。





コロナ禍でも、このような行事を大切に取り組む院内学校には、






感謝の気持ちでいっぱいでした。






そして、




移植も近づいてきたので、再発治療8コース目のケモは、





TCからIRECに変更になりました。





8コース目に入ったとき、





担当医師から、





『今、病状も落ち着いているし、





臍帯血のドナーさんも見つかっているから、





今回の治療が終わったら、移植に進もう。





と、昨日のカンファレンスで決まりました。





また後日、教授とのICで詳しい話があると思います。』






と、報告がありました。





3年前の移植も8月だったな…。と。







名大病院の小児科病棟は、






内科はE(東)、外科はW(西)と分かれていて、







移植を控えている内科患者や、移植後の患者は、







基本的にはEに入院しますが、







その時の状況や、内科病棟が満床の場合、






外科病棟のWに入る事があります。






娘はずっと、外科病棟でお世話になっていたので、






移植になると、





クリーンルームがある、内科病棟へ転棟しないといけません。





転棟といえ、また新しいお友達や看護師さん、薬剤師さん、保育士さん、CLSさんがいます。





病棟のルールも違い、






新しい病院へ行くみたいな気が引き締まる思いでした。






外科病棟の看護師さんや、保育士さんとお別れをし、





Kちゃんは、娘の転棟時、ものすごく泣いて、





娘の名前をずっと叫んでいました…。





また絶対会おうね。と涙ながらのお別れでした。





新しい病棟で、ルールを覚えました。





看護師さんの名前と顔も覚えないといけません。





お部屋には、院内学校のお友達がいたので、





娘はわりとすぐ馴染んでくれていましたが、





私は新しい環境での気疲れで、くたくたでした…。






きなこもちは、避妊手術をしたので、




エリザベスカラー姿がなんとも言えない可愛さ。