癒しの存在 | 神経芽腫の娘のこと

神経芽腫の娘のこと

2017年12月3歳9ヶ月、小児がん神経芽腫と診断され、再発を繰り返しながらも懸命に生きた証、治療や娘との大切な時間をどう過ごしたか、それからの事、子どもを亡くした母親の気持ちを綴っています。2023年2月14日永眠。アメンバー申請の際は自己紹介メッセージをお願いします


2021年7月



娘が転院してから、ずっと同じ部屋の隣のベッドに入院していた、





当時もうすぐ2歳の女の子、Kちゃんがいました。





可愛くて、ひょうきんで、1歳なのにおしゃべりが上手で、





お友達の名前や看護師さんの名前もちゃんと覚えていて、





とても癒しで、娘もずっと一緒に遊んでいました。






Kちゃんのお母さんは保育士のお仕事をされていて、






絵や折り紙や手作りの物がすごく上手で、






たくさん、娘のために作ってくれました。






Kちゃんも、小さい体で辛い化学療法を頑張っていました。






娘は、妹か弟がほしい。






と、ずっと言っていたので、






そんなKちゃんの事を妹みたいに思い、







絵を描いてあげたり、一緒にお散歩したり、







Kちゃんも娘の事をお姉ちゃんのように思ってくれていました。







毎朝、起きたら、娘の名前を呼んで起こしてくれます。






そして、登校時、病棟の出口まで、見送ってくれます。





そんなKちゃん親子が居てくれて、





私も娘もここに転院してきて救われたのです。





今でも、ずっと気にかけてくれていて、





Kちゃんの成長ぶりにびっくりします。





元気そうな姿を見て、私もいつも嬉しくなります。




そして、





病棟で、夏祭りが行われました。




コロナ禍なのに、このような行事を開催してくれて、とても有難いです。




Kちゃんと娘は姉妹みたいに、




お揃い風の甚平を来て、




とても、とても、楽しんでいました。







ずっと手を繋いでいました。





今でも、忘れられない思い出の一つです。





その年の短冊には、








・コロナウイルスがなくなりますように





・アイドルになりたい





と、お願いしていました。