第7波がすごい事になってますね…
きっちり対策していても
ほんのちょっとの隙間を入り込んでくる
みたいな感じで、
例にもれなく
仕事で右往左往しておりました…。

次から次へと…
最低限の人数で回しているので、
1人欠けるだけで、シフトがとんでもない事に…

気をつけようがないのが、
どうにもならないのですが…

間があきましたが、続きです。



市販されている抗原検査キットで陽性反応。

やっと月曜になって、
かかりつけの病院に電話したら
とても丁寧に対応して下さいました。


この時、熱は37.3℃と下がっていました。
(夕方くらいに平熱になりました)

車内待機で、しばらくしたら、電話が来て
受付へ行くと、
隣にある応接室みたいな部屋に通され
そこで診察(というか、経過報告)とPCR検査。

「抗原検査の方がすぐ結果分かるよ」
と言われたので

市販の検査キットで、自分で検査した事を告げ
ジップロックに入れておいた、キットを見せたら
「あ、陽性だね。PCRにしますか」と
あっさり言われてしまいました。


検査結果は、
先生自ら患者に電話して下さるそうで
かなりビックリ…。
(看護師さんや受付の人がするとおもってた)

そして、熱は下がりつつあったので、
酷くなっている咳の咳止めと
持病の薬の処方してもらって
翌日の電話を待つ事に。

ここから、自宅療養が始まるのですが
この時、処方してもらった咳止め薬が
体質に合わなかったらしく
2日後、とんでもない目に遭います。  


あくまでも私の場合でしたが
熱は1日ちょっとで下がりましたが
咳と喉の痛みと倦怠感がすごくて
薬を飲むために、ご飯を作って食べるけど
それ以外は、寝ている状態。

横になってる、じゃなくて、睡眠。
スマホをいじってみるも、途中で寝落ち。
が、療養期間中ずっと続きました。


でも実は、コロナのせいだけでなく
咳止め薬も関係していたかも…と気づいたのは
療養期間も半分が過ぎた頃でした。








勤務開始して、30分くらいで
熱を測ったら、37.5℃。

喉のヒリヒリも、続いていたけど

ぶっちゃけ、普通の仕事より
手洗い、消毒なんか、
手が溶けるくらいやってるし。

うがいも欠かさなかったし。

ただ、お客の意識の薄れは
かなり顕著に感じていて

あくまでも、私が勤務している店限定だけど
深夜客のマスク着用率は、5割切ってました。

酒とタバコで、エグい咳しながら
痰を吐きつつ、店内歩き回るから
客が帰ってから店内消毒しまくり、とか
トイレの使用状態も酷いもので…。

タダでさえ、感染環境悪かったのに
父の事。

しかもこの時、日曜になったばかりの深夜。

帰り途中のオーナーを呼び戻し
すぐ帰る事に。

深夜の発熱センターに電話したら
検査ができるのは、月曜なってから、との事。
しかも、月曜は激混みするから
かかりつけ医に行った方がいい、と言われて
打つ手なし。

ただ、マスクを外さず
距離も保っていたとはいえ
半日以上、一緒にいた他の家族も心配で
全員に連絡を取っていたら

早朝、弟が職場にある抗原検査キットを
家まで持ってきてくれました。

自分で鼻をグリグリしてやるやつです。

結果、陽性反応がくっきり…。

9時になって、救急病院に電話してみたら
それでも、PCR検査は出来ないし
電話診察のみで、
症状緩和の薬の処方しか出来ない、と。

日曜だと、本当に何も出来なくて
仕事関係者にも、確定報告出来ず
上の人はかなりイライラしたと思います。
(この直後、土日祝でも検査出来る会場が
出来ました。タッチの差だった…)

実は、この日が体調的にはピークで
喉の痛みと咳も出始め、熱も38℃超え。

市販の薬があるなら、
それを飲んでも構わない、と言われていたけど
家の中なら、動けるから
咳止めだけ飲んで、
PCR検査が出来る、月曜を待ちました。





葬儀会社との打ち合わせ。


これだけ長く(コロナが)続くと
それなりに、マニュアルが出来るものだな…
というのが、一番の感想です。


大変だったのが、参加者の制限。
会場も火葬も10人まで、と言われ
子供5人と母で、すでに6人。

あと4人しか参列出来ないのですが
父の兄弟が3人にそれぞれ配偶者。

それに、妹の配偶者もいるし
孫達もいる。

父の兄弟が、また頭の固い人達でして
飲酒運転も捕まらなきゃオッケー
とか、言ってしまう人たち。


父が頭の怪我をして、車の運転を
医者から止められているにも関わらず

高速乗って2時間以上の運転も許し
さらに、外食で酒を飲ませて
運転させる

という、非常識極まりない事をされてから
疎遠になっていたのですが

さすがに知らせない訳にもいかないだろう
でも、葬儀に参列はさせられないし…
(全員80過ぎてる)

でも母は、火葬が終わるまで知らせない
と言い出しました。
どうやら、随分前から
心に決めていたみたいです。

これは、打ち合わせが終わってから
家族全員で話し合い
母が折れて、連絡だけして
葬儀の参列は断る事にしました。

無理やり来たら
実子が参列出来ないからね
という脅しつき、で。


あと、火葬に関しても色々あって
コロナで亡くなった人の火葬は
時間、曜日が決まっていて
実家の住所の管轄の火葬場だと
最短で、5日待ちという、驚きの言葉。

細かくは忘れましたが
週2日の最終しか使えない
つまり、1週間に2件しかできない
とかで、
本当に大変な時は
2週間待ちとかもあったと聞いて、驚愕しました。

それに比べたら、5日とはいえ
その間の保管料もかなりかかるし
逆に、そんなに置いといていいのか…?
とか、思っていたのですが

火葬料金を上乗せすれば
管轄外の火葬場にお願い出来る、と言われて
迷う事なく、お願いしました。

結果、翌日の夕方に
荼毘に伏されることに…。

出棺は家族6人で。
火葬場には、妹たちの旦那さんが来て
父の兄弟と孫たちは、不参加となりました。

全てが終わって、解散したのが木曜の夕方
この日は、けっこうな大雪で
家に帰れたのが、出勤まで2時間強
という感じだったので、
1時間くらい、横になり(眠れなかったけど)
普通に仕事しました。

確か、この時期、雪の日が続いていたので
少し喉に違和感があったのを覚えています。

風邪でもひいたら、元も子もないと思って
早朝に退勤して、すぐベットに入ったのですが

供花の手配や相談なんかで
やっぱりほとんど眠れず…。

お昼過ぎに、葬儀会館へ行ったら
会館の方が、
棺を開ける事が出来ないから
花も思い出のものも、何も入れられないから
せめてもの…と、千代紙を用意して下さり
裏にメッセージを書いて、
好きなものを折って下さい、と。

それを、棺の上に乗せて
その上から、布を被せて下さいました。

いよいよ火葬場へ向かいます。

外で熱を測り、平熱である事を確認して
本当に最後のお別れです。

待っている間
母と妹が、軽い軽食(というか、お菓子)を
用意してくれてましたが
多分、眠れてないのと、気持ちの面でも
あったりしたのかな…
全く食べる事が出来ずに、
ただ、喉の乾燥を防ぐためだけに
水分だけ摂って、待ちました。

感染病死だと、骨上げも出来ません。

それもあって
母は、骨は残さないと決めていたみたいでしたが
弟の強い希望と
参列出来ない父の親族への配慮から


散骨できるくらいの小さな骨壺へ納めていただき
父が戻ってきました。

会場を後にする前
残りの遺骨を見せていただいたのですが
職員の方も驚くくらい
年齢にそぐわない
しっかりした骨がかなり残っていて

コロナにかからなかったら
もっと長く生きられたお身体だと思います
と言われた瞬間

初めて、母が泣きました。

現地解散だったのですが
別れ際に
「見なきゃ良かった…」と、ポツリ。

娘からは、お互いの愚痴しか聞かされず
不仲にしか見えなかったのですが
最期まで連れ添った夫婦にしか
分からない何かがあるんだろうな…
と、改めて感じました。


コンビニなんてやってると
本当に休めない。
こんな日でも、出勤です。
さすがに定時出勤ではありませんでしたが…

それでも、通常運転は
気持ちがぐらつく時間を少なくしてくれます。


食べず、寝ず。の3日間だったので
仕事終わって帰ってきてからは
眠れなくても、ずっと布団に入ってました。

次の休みまで、まだ4日もあります。
喉が弱いので、少し違和感がある今
これ以上、悪化させる訳にはいきません。


そして、次の日の出勤時。

出勤スタッフは、家で必ず体温測定するのですが
忘れた人用に、店にも用意してあります。

私も例外なく、出勤前に測って
いつも通りの平熱で、店に行きました。

でも、勤務始まって、15分くらいで
何となく、嫌な悪寒を感じ
本当に、念の為、何の気なしに熱を測ると…

37.5℃…

父が居た病院に、2時間くらい滞在してたし
密葬とは言え、会館にも長く居たし
オミクロンの特徴は、喉の痛み…

マジで血の気が引きました。