木曜の午前5時過ぎ

父の心臓が止まった、と
病院から連絡があったと
仕事中の妹の携帯に、連絡してきた母。

実はこの時、タイミング悪く
私が携帯を家に忘れてきたため
(まぁ、母からの連絡はなかったですが)

今から病院へ行くという母を落ち着かせ
妹が実家へ行って母を迎えに行き
病院まで付き添いしてもらい
私は店に残って、スタッフが出勤次第
病院へ向かう事に。

病院からは、コロナ感染死という事もあり
また、霊安室もない事から
とにかく早く引き取ってほしい、との事でした。

若干、冷たい印象を受けましたが
クラスターの原因になる訳にもいかないので

母が互助会に加入していた葬儀会社に
何を話していいか分からなくなっている
母に代わり、私が電話しました。

ちょっと脱線しますが
父が亡くなった事を伝えると
「ご愁傷様でございます」という言葉ではなく
「お淋しい事でございます」みたいに言われて
事務的ではない言葉の選択に
感心したのと、少し気持ちが和らいだのと…。

コロナで亡くなった事と
病院側からの要請を伝えると
朝イチで納棺に来ていただく手配と
感染病死の関係で、父の安置場所が
限られてくる為、場所決定の連絡待ちも兼ねて

一度、全員家に帰ってから
実家へ集合すること。

葬儀会社が病院へ向かう時に
遺族も来てほしいと言われていたので
それまでに、母と妹と弟の4人で
今後のことの話し合いをしましたが

…長男が、アテにならねー!💢
と、妹と目配せしつつ
納棺、葬儀の希望をある程度まとめて
開院時間に合わせて、病院へ戻りました。

待合室がとても広い病院だった為
患者さんと接触しない場所で
葬儀社が来られるの待つ事30分。

遠目でも直接見ることは出来るか、聞いてみたら
やはり無理、と言われたので
不謹慎だと思われるかもしれませんが
スマホを預けて写真をお願いしたら
快諾していただけました。

さらにそこから、40分くらい待って
車へ乗せたので、お見送りを…といわれ
主治医や、病棟の看護師さん
そして一番お世話になったヘルパーさんも
立ち会ってくださり
父には先に、会場へ行ってもらいました。

でもこの会場が、すごく遠かった…。

かなりあちこちに会館がある大手で
私の家から歩いて行ける場所にあったり
それこそ、妹の家の裏に会館があったり
もちろん、実家の近くにも2ヶ所くらい
あるのに、なんでこんな遠く?
と思っていたんですが

後から調べたら、1日1組限定の小さな会館でした。

本当に細やかな配慮をしていただいたし
しなきゃいけなかったりするんだろうな…と。

お昼過ぎには
朝に来られなかった、残りの兄弟も合流して
多分、15年以上ぶりに、家族全員集合。

そして、納棺された父と対面。
コロナが流行り出した初期の頃は
これすら出来なかったですが
私服のまま、髭も剃ってないまま
透明なビニールにすっぽり覆われていた父。

どんな形であれ、直接見られるだけまし。
でもコロナじゃなかったら…
髭剃って、身体きれいにして、着替えさせて…と
とても複雑で何とも言えない感情が…

出棺まで自由に顔を見ることが出来ます
と言われて
それぞれ、好きなだけ父のそばにいて
お互いの近況報告したり
思い出話をしたり。

そして、葬儀会社との打ち合わせで
コロナ感染死の現実を思い知りました。







正直、良い思い出って
ほとんどないんですよね…

母親が、超過干渉で、父が匙を投げて
子供にはほぼ無関心
みたいな、家庭だったので…。

認知症で入院してからは
仕事と面会時間の都合もあって
ほぼ妹に任せきりで
7年で3回くらいしか会わなかったけど

3回とも
顔を見たら思い出してくれて
でも、私の人生は妄想まみれで
父の妄想の旦那さんと、仲良しのフリ
してみたり。


妹とは仕事が一緒なので
その折りに、父の事(母の事も)
聞いてはいたんですが

仕事へ行くために仮眠から覚めて
スマホチェックしていたら
超久しぶりの母親からのLINEで
父のコロナ感染を知りました。


精神病院に入院していたので
病気に対しての設備がなく
別の病院への移動も出来ないみたくて
尚且つ、持病もあったので
今後の治療方針の相談の
(というより、母親の気持ちの後押しかな)
連絡でした。

薬を使うと、持病が悪化する
使わないなら、体力勝負の回復待ちになる
それと、延命措置の確認。

いざ、突きつけられると…ね。

それでも、事あるごとに言っていた父の
「もしもの時は何もしなくていい」という
言葉を尊重して

延命措置はしない

という結論を家族全員で出しました。

正直、普通に回復するだろうと
全員、タカを括っていたのは事実です。

コロナ感染の連絡を受けたのが日曜日の夕方。

病院側が指定した火曜日に、
治療方針の書類へサインしに行った時
少し持ち直して、
前日に食事も少しだけ出来た事から
余計に楽観視していたのですが

その日の夕方に
酸素濃度が落ちてきたから
酸素マスクをつけました。と連絡。

様子を見に行けない、
という不安を抱えつつ
病院にお任せするしかない現実。

水曜の夕方の連絡で
マスクをつけていても
少しずつ、酸素濃度が落ちている、と…。

この日は、私が休みで、介護主戦力の妹が、
私の代わりにシフトに入っていたので
何かあったら、私に連絡するように
母親にも伝えて。

なんだかんだで、やはり気になって眠れない…

翌日、主婦業で子供達のお弁当作りがある
妹と交代して、30分程の繋ぎのために
発注兼ねて、早朝だけ出勤するのですが

この日は1時間早く店に行きました。

早すぎない⁈と驚く妹に
やっぱり気になって眠れなくて…なんて
話をしていたら

妹の携帯が鳴り、画面を見ると母からでした。

妹と2人、思わず見つめ合います。

今さっき、心臓が止まった、という連絡でした。






気がついたら、2年近く
更新してなかったんですね…


のんべんだらりと過ごしていたのですが
今年に入って
(既に半年以上経過していますが)

大きな出来事で、悪いこと2つ、良いこと1つ。


2月に
施設の空き待ちで入院していた父が
コロナに感染して、亡くなりました。

ほぼ、完全隔離だし
面会も、部屋のドア越しにしか出来なくて
どこから感染したのか不明ですが

陽性が判明して4日目のあっという間の事でした。

家族全員、軽症で済むと思っていたので
電話がかかってきた時は、悲しみより
驚きの方が大きかったような気がします。

詳しくは、また書こうと思いますが
送り出した翌日に
今度は、私が感染判明。(後日、妹も感染)

夜勤しながら、ほぼ寝ずに
日中は葬儀の準備やら何やらで
3日間くらい、ほとんど寝ていなくて
抵抗力が落ちていたところを
やられたのかな…と。

軽症で熱は2日くらいで引いたのですが
喉の痛みと咳がひどく、

特に咳に関しては、1ヶ月以上続きました。

極めつけは
処方された咳止め薬の副作用(目眩)で
家の階段でよろけて、足の指を骨折する、という
オマケつき。

自宅療養の最初の時だったので
もちろん、病院にもいけず
応急処置で1週間凌ぎましたけど…。

療養期間中には
職場の方で色々あり
明けてからは、怒涛の日々が待ってました。


そして、全てが落ち着いた5月に
念願だった、保護猫2匹をお迎えして
1人と2匹家族になりました。





キジトラが空くん

白キジが海ちゃんの姉弟仔猫です。


調子に乗って

YouTubeに動画あげてますw

(ショート動画ですが)


独学で勉強中で、試行錯誤してるので

リンクとか貼る技術ありませんが

興味ある方は「うみとそら」で検索してみて下さい。


2匹とも、デロデロの甘えん坊で、
元々出不精だったのが、余計拍車がかかりました。

もう仕事以外、ずっと家にいます。
お出かけも最小限。

どうせ1人だし…と、いい加減だった掃除も
掃除機かけた後、拭き掃除までしたり

ご飯の準備(自分のではない)のためだけに
睡眠2時間で起きたり、が苦にならない。

幸せな猫生にしてあげられるように
かーちゃん頑張るよ💪