今、地球環境の問題は何年か前のそれとは異なり、国際的な早急な対応が必要な時期にきている。
・・・・・とどれくらいの人が本当に考えているのだろう。
恐らく多くの人が頭の隅にはあったとしても、自分の普段の生活のこと、仕事、恋愛、遊び、etcの合間の他になにもない時にああ、そういえばそういうこともあるな程度のものであろう。
私のようにそれらのほかのことを考える必要がないような者だけが他の人よりは大分考るかもしれないが。
このように人間(動物もだが)はやはり自分が一番大事なのである。
だが、本当はこのように考えていられるほど環境問題は他人事ではない。ひいては、自分の身にふりかかることなのだ。
実は誰もがわかっているようで、実際その危機に直面しないとわからない。つまり、認識していないのと同じ状態であるといえる。
それを認識しない、考えない理由に、この社会の仕組みがある。
まず、一人ではなにもできないということ。
一人がやったとしてもそれが結果として形に見えない。または、みんながやらなければ全くなにも進まない。
仮に一人が意を決して自分にできる範囲で実行したとしても、他の全くやろうとしない人がいれば、全く意味のないように感じてしまい、結局は何をしてもしかたないということになってしまうのだ。
これを解決するには、大きな組織単位の決め事ですすめていかなければ埒があかない。
しかしこれをやらない理由が二つ目のもの。
複雑に入り組んだ私たちの生活だ。これは、ブログで前に書いたが、私たちの生活はもはや後戻りできないほどいろんな便利なものに慣れすぎた生活となり、それを捨ててまで環境問題を解決しようとはだれも思わないということだ。
例えば極端な例で、車に誰一人乗らなくなればどれだけのCO2やNO2が減るだろう。
温暖化や化石燃料の消費を相当抑えられる。
しかし、今の生活に車が不可欠になっているばかりか、製造する企業が倒産すれば、仕事を失うものが大量にでる。このように車一つとっても全てが連鎖しているため、仮にこのように極端に、全ての車の乗らなくするのではなく減らすようにするだけでも多大な影響がある。そのため、結局なにもできないのだ。
だから、新技術や設備の見直しなどの小手先の対応でやっていこうとしているが、掲げた目標に到達できるとは到底思えない。
いくつかの小さな国、たとえばスウェーデンなどは、国を挙げて、徹底してこれを行っているため、かなりの成果をあげているが、政府が自己の保身しか考えない日本では到底無理な話だろう。
脱線したようにも思うが、最初に書いたように結局人間は自分を守ることが一番重要なのである。せっかく他の生物と異なる理性というもの(厳密に本当に人間だけなのかは知らないが)を持ちながら、やはり本能のままに動くしかないという、逆に変な浅知恵だけつけた生物になりさがっている。
ところで、環境問題について、だらだらと書いたが、この環境問題そのものが私たち人間の自己満足だということを忘れてはいけない。と断言できるかどうかはわからないが。
私は、この環境問題を話す際に、「地球のために」と話す人が大嫌いである。
これまでさんざんこの地球の資源を使い尽くし、自然環境を破壊し、生態系を異常に変化させ、多くの場所を汚染してきた私たち人間が、地球のためにとは本当にお笑いである。
ただの自己満足の偽善者である。
そもそも最初にも書いたが、この環境問題はひいては私たちの身にふりかかること。
つまり、「地球のために」ではなく、自分たち「人間のために」なのである。それを誤解すべきではないと思う。
私たちは地球でしか生きていけない。だからこそ、自分たち人間がこれからもこの地球上で生活をしていくために、私たちはこのことを考えていかなければならないのである。
それに、地球を私たち人間の考えがあるかのように仮定しているところもおかしい。
私たちと同じような感情があると勝手に考えるのがまた、勝手な人間の自己満足からくるものである。
もし、地球に感情があったとしても、私たち人間は死ねば終わりだが、惑星は死ねば、チリになり、それが宇宙をただよい、また新しい星のもととなる。だから、もしかしたら逆に地球はどんどん壊してくれと言っているかもしれない。
地球にとっては地球が滅することなど、地球を汚染するいやな人間を追い出せるいいことであり、新しい星として生まれ変わるほうを好んでるのかもしれない。
地球にとったら、私たちは人間の体でいうがん細胞のようなものではないだろうか。
60億にもふくれあがったがん細胞である私たちが、まだ直せるがんなのかそれとも手遅れの末期がんなのかはこれからの私たちの危機意識で決まるだろう。
宿主がしねば私たちも死ぬということを皆が再認識しなければならない。人間のために。