やはり人間は一人では生きていけない。
親という血縁関係以外、私にはつながりはない。

時々今日みたいな精神状態になる。
精神的にかなり追い詰められている。追い詰められると理性だとか論理的な思考などというものは、全くなくなり、同じことが頭の中で繰り返される。

今思って結局くりかえされることは

生きる価値がない、生きる価値がない、生きる価値がない。。。。。。。。

死にたくなる。
だがどうせ死ねないのだ。怖いのだ。もったいないのだ。
そして、絶望感にさいなまれながら、心の片隅では、誰かがどうにかしてくれるのではないかなどと思っているのだ。

どうしようもない。
今、地球環境の問題は何年か前のそれとは異なり、国際的な早急な対応が必要な時期にきている。
・・・・・とどれくらいの人が本当に考えているのだろう。

恐らく多くの人が頭の隅にはあったとしても、自分の普段の生活のこと、仕事、恋愛、遊び、etcの合間の他になにもない時にああ、そういえばそういうこともあるな程度のものであろう。
私のようにそれらのほかのことを考える必要がないような者だけが他の人よりは大分考るかもしれないが。

このように人間(動物もだが)はやはり自分が一番大事なのである。

だが、本当はこのように考えていられるほど環境問題は他人事ではない。ひいては、自分の身にふりかかることなのだ。

実は誰もがわかっているようで、実際その危機に直面しないとわからない。つまり、認識していないのと同じ状態であるといえる。

それを認識しない、考えない理由に、この社会の仕組みがある。

まず、一人ではなにもできないということ。
一人がやったとしてもそれが結果として形に見えない。または、みんながやらなければ全くなにも進まない。
仮に一人が意を決して自分にできる範囲で実行したとしても、他の全くやろうとしない人がいれば、全く意味のないように感じてしまい、結局は何をしてもしかたないということになってしまうのだ。
これを解決するには、大きな組織単位の決め事ですすめていかなければ埒があかない。

しかしこれをやらない理由が二つ目のもの。
複雑に入り組んだ私たちの生活だ。これは、ブログで前に書いたが、私たちの生活はもはや後戻りできないほどいろんな便利なものに慣れすぎた生活となり、それを捨ててまで環境問題を解決しようとはだれも思わないということだ。

例えば極端な例で、車に誰一人乗らなくなればどれだけのCO2やNO2が減るだろう。
温暖化や化石燃料の消費を相当抑えられる。
しかし、今の生活に車が不可欠になっているばかりか、製造する企業が倒産すれば、仕事を失うものが大量にでる。このように車一つとっても全てが連鎖しているため、仮にこのように極端に、全ての車の乗らなくするのではなく減らすようにするだけでも多大な影響がある。そのため、結局なにもできないのだ。

だから、新技術や設備の見直しなどの小手先の対応でやっていこうとしているが、掲げた目標に到達できるとは到底思えない。

いくつかの小さな国、たとえばスウェーデンなどは、国を挙げて、徹底してこれを行っているため、かなりの成果をあげているが、政府が自己の保身しか考えない日本では到底無理な話だろう。

脱線したようにも思うが、最初に書いたように結局人間は自分を守ることが一番重要なのである。せっかく他の生物と異なる理性というもの(厳密に本当に人間だけなのかは知らないが)を持ちながら、やはり本能のままに動くしかないという、逆に変な浅知恵だけつけた生物になりさがっている。

ところで、環境問題について、だらだらと書いたが、この環境問題そのものが私たち人間の自己満足だということを忘れてはいけない。と断言できるかどうかはわからないが。

私は、この環境問題を話す際に、「地球のために」と話す人が大嫌いである。
これまでさんざんこの地球の資源を使い尽くし、自然環境を破壊し、生態系を異常に変化させ、多くの場所を汚染してきた私たち人間が、地球のためにとは本当にお笑いである。
ただの自己満足の偽善者である。

そもそも最初にも書いたが、この環境問題はひいては私たちの身にふりかかること。
つまり、「地球のために」ではなく、自分たち「人間のために」なのである。それを誤解すべきではないと思う。
私たちは地球でしか生きていけない。だからこそ、自分たち人間がこれからもこの地球上で生活をしていくために、私たちはこのことを考えていかなければならないのである。

それに、地球を私たち人間の考えがあるかのように仮定しているところもおかしい。
私たちと同じような感情があると勝手に考えるのがまた、勝手な人間の自己満足からくるものである。

もし、地球に感情があったとしても、私たち人間は死ねば終わりだが、惑星は死ねば、チリになり、それが宇宙をただよい、また新しい星のもととなる。だから、もしかしたら逆に地球はどんどん壊してくれと言っているかもしれない。
地球にとっては地球が滅することなど、地球を汚染するいやな人間を追い出せるいいことであり、新しい星として生まれ変わるほうを好んでるのかもしれない。

地球にとったら、私たちは人間の体でいうがん細胞のようなものではないだろうか。
60億にもふくれあがったがん細胞である私たちが、まだ直せるがんなのかそれとも手遅れの末期がんなのかはこれからの私たちの危機意識で決まるだろう。
宿主がしねば私たちも死ぬということを皆が再認識しなければならない。人間のために。




















私たちの今の生活は複雑ないくつもの仕組みがからみあったものの元になりたっている。
こんな抽象的な表現じゃなくもっと具体的に言いたいのだが、知識の乏しい自分にはそれも難しい。
とにかく膨大なことの上になりたっていて、それの一つが欠けるといったいどうなるんだろうとおもうことがある。いや、不安とも言うのか。

日本は先進国の一つとされる。
先進国とはいったいなんだろう。意味などwikipediaでも見れば載ってるんだろうがどうでもいい。
原始生活からもっとも離れた生活をしている国であろうか。
私は自然から遠ざかった人達の国ではないかと思う。ここで私が想像する自然とは単なる人間以外の生物が営むものである。

今、私たちの生活はさまざまなものに支えられ非常に便利(人の観点によるが)なものとなっている。
豊かと書きたかったが、精神的なのか物質的なのかにもよるので便利としよう。

人にもよるが、家があり、ベッドや布団があり、風呂やシャワーもあり、台所があり、食事の材料はスーパーや店でいつでも新鮮なものを買ってくることができる。
今それを当然のように暮らしている。

だからこれらがなくなったら私は何もできないだろう。何人の人がやっていけるんだろうと思う。

もし今日本の流通がすべてとまり、輸入や生産ができなくなったら。。

スーパーに残りの食糧があるとかいうだろうか。そんなものはすぐつきるし、流通がなければなにもこない。
生鮮食品などもともと毎日入れ替えるものだし。

そうなったら人間はどうなるか。自分で食糧をとったりなどできるのだろうか。
海や川で魚をとればいいなどと考えるだろうか。養殖場やいけすでないかぎりそんな簡単ではない。そもそもそれは釣竿や糸や網などの道具や餌があるという前提であるし、それさえもなければどうするのか。

人間いざとなればなんでもできるというが本当にそうだろうか。
今の日本にいい意味でなんでもできる人が何人いるのか。
恐らくそのなんでもとは悪いほうには簡単に行くだろう。
きっとコンビニやスーパーに強盗にはいり、他人と食糧のとりあいをし、争いをし、せっぱつまれば殺してでもとろうとするのではないだろうか。

こんなことをふと思うことがある。こんなどうしようもない生活をしている自分だからだろう。

話は戻るが、だからといって皆が今さら昔の生活に戻ろうなどというのも無理な話である。
これまでの政府によって第一次産業をおろそかにした今の日本の現状では、輸出入がなくなれば食べ物は終わりである。
それ以外も電気、ガスなどのない生活などだれが考えられるか?
欲深い私たち人間に一度手に入れたものを手放すのは難しい。いや人間に限らずか。

今の便利な生活、車などの交通手段、娯楽、さまざまな食べ物、快楽、etc
これら知ってしまったものから後に戻れるものなど何人いるのだろうか。
化石燃料が枯渇してきていると皆わかっていても、じゃあ電気無しで行きましょうと誰ができるのか。

今更後戻りはできないのである。
進めば進むほど仕組みは複雑になり、どの歯車がかけても生活が成り立たなくなってきている。
そしてそれに依存している自分たちがいる。

どこへ進むのか。
このまま進み続けることなどできるのだろうか。その先にあるものから目を背けて。
それを知らないふりをして。

先進国とは、一番終焉に近いところまで進んでしまった国のことなのかもしれない。