ということで、
新大河ドラマ『功名が辻』
の43回目を見ました。
増田長盛(不破万作)が千代(仲間由紀恵)を連れて行こうとするが、
石田三成(中村橋之助)と長束正家(草薙良一)により人質作戦を止めるという伝令が来る。
千代は、この伝令により命拾いをすることとなった。
場面は、徳川家康(西田敏行)の陣に移り、本多忠勝(高田延彦)・井伊直政(篠井英介)らと、
家康に付いている豊臣勢が裏切るかどうかを悩んでいるところに、
千代からの手紙を持った山内一豊(上川隆也)が現われる。
一豊は千代からのアドバイス通り、手紙の封を切らず家康に渡すことで忠義を尽くす事となった。
家康は、まず千代の手紙を家来に聞こえるように声を出しながら読む。
千代の手紙は『千代のことを心配せずに家康に忠義を尽くすように』という内容であった。
そして、家康は、三成からの断崖状を開き、明日に群議を開くことを決める。
場面は大阪。
山内康豊(玉木宏)より、千代(仲間由紀恵)・祖父江新右衛門(前田吟)に
一豊が家康に付くことを知る。 その情報を流したのは六平太(香川照之)であった。
さらに場面は、家康の陣。
山内一豊(上川隆也)・祖父江新一郎(浜田学)・五藤吉蔵(小倉久寛)は、
ガラシャを失った細川忠興(猪野学)にお悔やみを言う。
そこに、福島正則(嵐広也)が現われ「家康を信じていいのか」と尋ねてくる。
一豊は「現在、天下を治める事ができるのは家康様だけ」と無難に答え、
福島にはまだ一晩あるのだから考えられよ、と言う。
なかなか一豊にも老獪さがでてきたようだ。
そして、その晩。
堀尾茂助(生瀬勝久)の息子・堀尾忠氏(大内厚雄)が一豊を訪れてきて、
父親の「領地を捨ててもいいから徳川に付け」という言葉に疑問を持っているようだ。
その言葉を知った一豊は感心し、この会話より一気に功名を得ることとなる。
場面は大阪城。
淀君(永作博美)・豊臣秀頼(広田亮平)の元に、西軍の大将・毛利輝元(津嘉山正種)をはじめ、
石田三成(中村橋之助)・吉川広家(モロ師岡)・安国寺恵瓊(赤星昇一郎)と戦争が始まることを
報告に来る。 何でも、毛利家は3つに割れていたようだ。
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家康の陣の群議が始まる。
井伊直政(篠井英介)の司会により、三成の人質作戦のため家康を裏切っても構わないと言う。
そこへ、昨日まで迷いに迷っていた福島正則(嵐広也)がいきなり家康に付くことを言い出す。
さらにガラシャを殺された細川忠興(猪野学)もそれに続く。 この二人に続き、各大名が続く。
その言葉を聞いた後、本多忠勝(高田延彦)が北の上杉を討つか、大阪を討つのかを尋ねる。
各大名は、兵が整っていない大阪を討つことを即答する。
家康はその言葉を聞いて、先鋒を福島で大阪を討つことを決める。
一豊は堀尾忠氏(大内厚雄)の胸を叩き合図するが、忠氏はビビッてしまい立てない。
その姿を見た一豊はそっと立ち上がり、『先鋒』をさせて欲しいという。
徳川家臣団は失笑するが、徳川家康だけは信じられないような顔をし家臣の言葉を止める。
家康 「直政、山内一豊殿は信長様の頃より、幾多の戦にご出陣なされたお方」
「静かにお聞きいたさぬか」
一豊 「徳川様に我が城、差し上げまする」
「城も・・・領地も・・・徳川様にお渡しいたしまする」
「存分にお使いくだされ!!」
家康 「一豊殿、今・・・・今何と申された?」
一豊 「掛川の城と領地、一切合財、たった今徳川様に差し上げまする」
「城には多年に渡り蓄えましたる兵糧もございますれば」
「これもまた存分にお使いくだされ!!」
家康 「掛川の城も、6万石の所領も、この家康にくれると申されるのか?」
一豊 「お味方すると決めた以上、城も・・所領も・・捨てまする!!」
家康 「山内殿・・・、よう言うてくだされた。 かたじけない・・かたじけない・・・」
この一豊の言葉により、大名全員が家康に領地を預ける雰囲気になる。
このときばかりは、タヌキではなく家康の本心が表情に現われていた感じだった。
場面は掛川城前。
掛川城と領地を徳川家康に渡したため、掛川城に入る事ができない一豊軍。
そのことに不安がる一豊家臣団だが、一豊は彼等に語りだす。
一豊 「勝てるかどうかではない・・・、我等が家康様を勝たせるのじゃ」
「皆もよう聞け、此度、我等をやることはただ一つ、徳川様を勝たせることじゃ」
「ワシはかつて信長様に従い、ついで秀吉様と戦い、敗れた戦はただ一度のみ」
「小牧・長久手の戦いだけじゃ!!」
「ワシが強かったからではない、ワシが仕えた・・・主が強かったのじゃ」
「されどの~、その主を選び、仕え、縁を得た・・・ワシの運であろう」
「ワシは運が強い! 皆もその運を信じよ!!」
そして、家臣団の一人ひとりの名前を呼び、死んでも子を立ててやるといい、
家来の士気を一気に盛り上げ、
一豊 「死にモノ狂いで、共に戦おうぞ!!」
と叫ぶ。
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千代(仲間由紀恵)は尼に化けて、寧々(浅野ゆう子)を尋ねる。
寧々は千代から現状を聞き、千代の心配をするが、
その会話の合間に小早川秀秋(阪本浩之)が現われる。
寧々は秀秋に家康に付くように再三言い、秀秋を説得する。
その言葉に秀秋は反発するも、寧々は豊臣を思うなら徳川に付けと言う。
場面は清洲城前。
なかなか家康が上京してこないことに、
イライラする福島正則(嵐広也)・堀尾忠氏(大内厚雄)の説得する井伊直政(篠井英介)。
しかし、家康はまだ誰が自分の味方なのかを決めかねていた。
本多正純(天宮良)は家康に「揺さぶってみては?」と言い、
本多忠勝(高田延彦)がその挑発をすることになった。
そして、その挑発を受け、すぐに福島らは清洲城を落としてしまう。
その動きに対し、毛利輝元(津嘉山正種)は秀頼を戦場に連れて行くことを淀君に言う。
しかし、淀君は『太閤殿下の遺言』を表に出し、拒否をする。
のちの大阪の夏の陣でも真田幸村が同じような要請をするがそのときも淀君は拒否をする。
この淀君の秀頼愛が原因で戦に負けたという歴史家も多い。
宇喜多秀家(安田顕)・島津義弘(岩崎ひろし)・小西行長(綱島郷太郎)は夜討をしようとするが、
石田三成は頑なに拒否をし、他の武将に批判される。
その正義を表に出す三成の言動は、味方の中にも多くの敵を作っていくようだ。
家康は城攻めをせずに大阪を攻めることを決め、その途中にある関ヶ原で決戦することを決める。
千代は六平太(香川照之)に一豊を助けてくれることを頼む。
さすがの六平太にも今回の結果が判らないようだ。
西軍は関ヶ原に先回りして迎え撃つことを決め、
東軍も関ヶ原に向かう。
次回へ続く。
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安国寺 恵瓊
1541年、幼少時に安芸の武田氏が滅亡すると、安芸安国寺(不動院)に入り、仏道修行の後に京都の東福寺に入り、竺雲恵心の弟子となる。そして毛利家が恵心に帰依していた関係から、毛利家に仕える外交僧となった。
1570年には豊後の大友家との和睦を取りまとめる事に成功する。1573年頃、「信長は高転びに転び、藤吉郎はさりとてはの者」と、織田信長の本能寺の変による横死と、その家臣の羽柴秀吉による天下統一を予言していたと言われている。(ただし、これは本能寺の変の後に流布したものであり、本当に予言していたかどうかは疑わしい。)
1582年、毛利氏は羽柴秀吉と備中高松城で対陣していた。この対陣の最中に予言の通りに本能寺の変が起き、織田信長が本能寺にて横死した。羽柴秀吉はその事実を隠して毛利氏に和睦案を提示。外交僧である恵瓊はその和睦を取りまとめている
安芸安国寺の住持となり、後に東福寺、南禅寺の住持にもなり、中央禅林最高の位にもついた。 1586年に秀吉の九州征伐が行われると、伊予6万石を与えられ、僧侶でありながら豊臣大名という異例の位置付けの大名となった。 恵瓊は毛利一族の小早川隆景の没後、毛利氏の支柱であった吉川広家と対立することとなる。そして1600年の関ケ原の戦いでは懇意であった石田三成と通じて西軍に与し、毛利輝元を西軍の総大将として担ぎ出すことに成功した。しかし宿敵・吉川広家が徳川家康と裏工作していたこともあり、美濃国関ヶ原で行われた本戦では前に陣取る吉川軍に阻まれ、兵を動かす事ができずに敗北後逃亡。戦後、京都にて捕縛された。そして西軍首脳の1人として、六条河原にて斬首された。
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次回は関ヶ原。
では、ここまで。