ということで、
新大河ドラマ『功名が辻』
の36回目を見ました。
オープニングは豊臣家の跡目問題。
本編は、鶴松の葬儀からスタート。
近臣のみ集めた葬儀であったらしく、羽柴秀吉(柄本あきら)はその場で髪を短刀で切り落とす。
その行為を見た福島正則(嵐広也)・加藤清正(金児憲史)を筆頭に、
その場にいた大名全員同じように髪を切り落とす。
その行動に、驚く寧々(浅野ゆう子)・淀君(永作博美)も描かれた。
場面が変わり、
寧々(浅野ゆう子)と千代(仲間由紀恵)との会話がスタート。
寧々は、鶴松を殺したという噂が流れていることを千代に語りだす。
その噂を流したのは、石田三成など近江派だと断定する寧々。
千代は、「北の政所ともあろうものが噂など信じなさるな」と言うも、
今の寧々にはそのような言葉は届かず、秀次をよろしく頼むと千代に言う。
場面が変わり、
淀君(永作博美)が寧々に対し、暴言を吐き続けるところを、
乳母・大蔵卿局(山村美智)より「また秀吉の子供を産みなされ」と言われ、
その言葉を聞くも淀君は石田三成に頼ろうとするが、さらに大蔵卿局より
大蔵卿局 「今ひとたび、殿下のお子をお生みなさいませ」
「殿下のお子を生んでこそ、北政所を見下してやることも出来るのでございます」
さらに場面が変わり、
豊臣秀吉(柄本あきら)が葬儀の際、諸侯が切った髪を見て、忠義を確認する。
そのことを確認したうえで、朝鮮出兵を決定する。
寧々はその行動を止めようとするが、その言葉は秀吉には聞こえなかった。
その朝鮮出兵に対し、
山内一豊(上川隆也)・五藤吉蔵(小倉久寛)・祖父江新右衛門(前田吟)などは嬉しくなさそう。
五藤吉蔵は諸侯の噂を話をし、一豊の意気を上げようとする。
一豊は朝鮮出兵に対する家康の動向を話すが、千代は家康の行動に疑問を持つ。
その言葉どうり、家康家臣団に話が移り、
徳川家康(西田敏行)は今回の朝鮮出兵を否定する。
その本心を知り、榊原康政(川野太郎)・井伊直政(篠井英介)・本多忠勝(高田延彦)は安堵する。
家康 「猿関白様は淀君に生気も分別も抜かれたかの?」
と、現在の秀吉をバカにする。
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家康の書状を読む寧々も家康が動かないことに不信を持つ。
が、その我侭に秀吉は「ヤツとは寿命の戦い」と家康と争うことを嫌がる。
寧々は明国を攻めるのか、と再三聞くも、
秀吉 「天下安寧のためには戦は続けねばならん」
「新たな敵を作らねば、諸侯はワシに付いてこん」
と、跡継ぎのいない不安定な豊臣政権は戦うことで正義を振りかざさなければならないようだ。
寧々はその言葉を聞いて、秀次を関白にするよう薦める。
秀吉は秀次を嫌うが、寧々の言葉に流されるように秀次に関白の位を渡す。
そして秀吉は太閤となった。
秀吉は淀君を連れて、朝鮮出兵のため肥前の名護屋城に向かう。
一豊は居残りとなり、秀次に仕えるために聚楽第に住むこととなった。
その聚楽第に名護屋城に向かう途中の家康と会談。
この会談内容で、豊臣秀次(成宮寛貴)は武門よりも学問に特化している事が判る。
秀吉に嫌われる理由がここなのだろうか?
その秀次は、千代を呼び、源氏物語を与える。
秀次は、幼き日に世話になったお礼として貰えた様だ。
千代は、戦が無い世が来て、秀次の才能が発揮されるでしょう、と。
秀次 「世を治めるには学問がなければならぬ。 恐れながら太閤殿下にはそこが欠けておる。」
「悪戯に戦を仕掛けるばかりが世の治めかたではないのだ」
「ワシは、ワシの天下を作ってみせるぞ!」
と自信満々に言う秀次に、千代は複雑な表情を浮かべる。
そこに、前野景定(瀬川亮)が朝鮮出兵初陣を勝利で治めたことを言いに来る。
しかし、勝った事に不満げな秀次の表情が映りだされる。
太閤が負けることで、自分に政権が移ることを期待しているようだ。
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祖父江新一郎(浜田学)を中心に、山内家臣団が修行中。
千代は、戦がしたそうな祖父江新一郎(浜田学)に複雑な表情を浮かべ、一豊のいる部屋に向かう。
一豊は秀次に習い、文化的な書物を読んでいる。
その姿を見た千代は、「心の中を読み解く時代となった」と言い、
時代の変化を一豊に伝えつつも、『一豊ならできる』と夫を盛り立てる。
場面が変わり、
初陣勝利に沸く名護屋城。
秀吉は、黒田官兵衛(斉藤洋介)に秀次の状態を聞く。
黒田は無難にこなしている秀次を報告する。
そんな中、石田三成(中村橋之助)のところに淀君(永作博美)が訪れる。
秀次のことを恨むつつ、秀吉の子をもう一度産むことを宣言する。
そのときは変わらずに自分を助けよ、と言う。
場面は大きく変わり、
大政所(菅井きん)が今にも死にそうに寝込んでいる。
大政所は戦を止めないのか、と寧々に聞く。
寧々は、譜代大名がいない豊臣政権に信じられる大名がいない。
だから、年を取って不安になってきており、新たな敵を作り、忠誠を誓っている大名に
論功行賞を与えることで、豊臣政権が安定していると言う。
その言葉を聞いた大政所は自分が作ったなすびを秀吉に食わして欲しいと言う。
秀吉が帰ってきたときには、大政所は息を引き取っていた。
寝床になすびがあることに気付いた秀吉は、そのなすびをむさぼるように食べる。
豊臣秀長・鶴松・そして母親と次々と身内を失っていく秀吉。
久しぶりに本心で泣く秀吉を見た。
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千代が息子・拾より「袋の中に一粒の小豆」を預かる。
そこにいたのは、六平太(香川照之)で10年ぶりであるらしい。
なんと六平太は中国に行っていたようで、秀吉が負けることを示唆する。
いつまでも豊臣政権が続かないことを言い、人は虚と実を行き来して生きていると言う。
そして、これからの戦は駆け引きとなり、情に囚われてはいけないとも言う。
それだけを伝え、六平太は去っていく。
そんな中、名護屋城。
黒田官兵衛(斉藤洋介)より、淀君がご懐妊したことを伝える。
久しぶりに明るく喜ぶ秀吉に、石田三成も同様に笑顔を作り喜ぶ。
秀次は、すぐに秀頼誕生のお祝いを伝えにくる。
秀次は秀吉に子供が生まれても、自分が世継ぎであると意気揚々と言うが、
その言葉に秀吉・三成は不穏な言動・表情となる。
この時点より、秀次は蚊帳の外に置かれた状態となる。
場面が変わり、
秀頼誕生を知った一豊・千代の表情は複雑となる。
秀次の・・・・自分の所領の将来を不安がる千代の表情で次回に続く。
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文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)=朝鮮出兵
豊臣秀吉による明遠征の過程で生じた李氏朝鮮における戦闘の総称である。豊臣政権時から江戸時代後期に至るまでは明の征服を目指していたことから唐入り、唐御陣、また高麗陣、朝鮮陣などと呼んでいた。幕末から明治初期にかけては朝鮮征伐、征韓などと呼ばれるようになったが、1910年(明治43年)の日韓併合以後は朝鮮人を同胞と見なすようになり朝鮮征伐の表現は避けられ、代わって第一次出兵を文禄の役、第二次出兵を慶長の役、併せて文禄・慶長の役という呼称が定着した。しかし、近年になって朝鮮側が受けた被害に関心をもつ立場の研究者が朝鮮侵略と呼び始め、それに従う書籍も多い。
文禄の役は1592年(文禄元年)に始まって翌1593年(文禄二年)に休戦し、講和交渉決裂によって始まった慶長の役は1597年(慶長二年)に始まり、1598年(慶長三年)の秀吉の死を受けた日本軍の撤退をもって終結した。朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国では文禄の役を壬辰倭乱(임진왜란, イムジンウェラン)、慶長の役を丁酉再乱(정유재란, チョンユヂェラン)と呼んでおり、中国では万暦朝鮮役もしくは万暦日本役と呼ばれることが多い。
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次回は、秀次と共に運命に翻弄される一豊が描かれる。
では、ここまで。