ということで、
新大河ドラマ『功名が辻』
の19回目を見ました。
祖父江新右衛門(前田吟)とヨネとの会話でスタート。
一豊(上川隆也)と五藤吉兵衛(武田鉄也)に場面が飛んで、
一豊の悩みを吉兵衛に話す。
吉兵衛 「功名とは、殿とお方様と姫様と、そして、勿体無くとも、」
吉兵衛 「我ら家臣一同が幸せになるための働きにございまする」
その言葉を聞いて、回想を挟み、六平太(香川照之)が登場。
六平太 「織田家を見限りませんか?」
六平太は食客になったときから、毛利の間者だったことを告白。
織田家の現状を話し、毛利につくことを説得。
もちろん、その説得は千代とその娘を助けるため。
一豊 「侍にとって、主家と他家を比べるようなモノは、無用の知恵であると・・・」
一豊 「お前が織田と毛利を比べるのに聡いのは、所詮お前が忍びじゃからだ」
一豊 「ワシは、50石からたたき上げて」
一豊 「いまや1100石を知行することになった、侍ぞ!!」
六平太が上川さんの熱演に押され気味なのが良い。
吉兵衛の再登場で、その場の緊張感が解かれ、六平太が立ち去る。
このことにより、六平太が山内家から外れたことになった。
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場面が変わって、安土城。
織田信長(舘ひろし)に呼ばれ、明智光秀(坂東三津五郎)が登城する。
細川忠興と明智玉(長谷川京子)との婚姻が決定。
信長はこの会話の中で、自分を崇めないので秀吉が苦しんでいると言う。
凄まじい信長のイメージで、ここまで飛躍した描かれ方は初めてじゃないかな?
一豊と信長の距離が遠すぎて、良い人に描けない性もあるのだろうけど・・・。
濃姫(和久井映見)とお市(大地真央)の会話。
お市 「姉上が明智殿をお慕いになるお気持ちは」
お市 「私が兄上をお慕いする気持ちと同じようなものにございましょうか?」
凄まじい兄妹だな。 電波が走りすぎている。
早く亡くなってほしいな、この兄妹は。
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明智光秀(坂東三津五郎)と玉(長谷川京子)の会話。
守り刀を受け取らない玉。
彼女はキリシタンになって、自害できなかった人なので、それの伏線かな?
千代(仲間由紀恵)がその結婚式から自分の娘の将来を考える。
場面が変わり、
一豊のところに、六平太が現われ、荒木村重の裏切りを伝える。
すぐに、会議が始まり、秀吉が一豊を連れて村重のところへ行くことに・・・。
さらに場面が変わり、
信長が、明智光秀も荒木村重の説得に行くように命令される。
摂津・有岡城。
荒木村重(ベンガル)を説得する秀吉。
柄本あきらが熱演するが、なんというか暑苦しい(^^;。
光秀が現われ、部屋に引くことに・・・。
秀吉は、村重説得を『芝居』とはっきり言ってしまった。
一豊は、実直の人なので、この言葉をどう思ったのだろうか?
私が一豊なら次回あたりで人間不信になると思う。
信長・秀吉と人格が崩壊しているだけに、光秀が一番マトモに見える。
この脚本家は、光秀ファンであるに違いない!!
で、光秀と村重との会話。
村重は、秀吉の説得を『芝居』と見抜いていた。
村重の行動は、信長脅威論を具現化した人として描かれている。
光秀が裏切ることへの一連の伏線かもしれない。
秀吉が陣内に戻って、
黒田官兵衛(斉藤洋介)が説得に行くことが決定する。
しかし、黒田官兵衛(斉藤洋介)は何もできず捕まってしまった。
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信長は、荒木村重討伐に3万の兵を向ける。
竹中半兵衛(筒井道隆)は、助言しながらも、死に掛ける。
話は安土城に・・・・。
電波兄妹の会話に、バック音楽も気色悪い音を奏でる(-_-メ。
濃姫(和久井映見)の言葉は、この電波兄妹には届かず、
むしろ哀れみの目で見られる。
彼女の役目は終わったのだろうか・・・。
死に掛ける竹中半兵衛(筒井道隆)が、六平太に黒田官兵衛の救出を頼む。
六平太は毛利の間者なのに、何故ここにいるのだろうか?
なんか、六平太は何でも屋みたいな感じになっているな(^^;。
祖父江新右衛門(前田吟)の息子が、千代に竹中の危篤を伝える。
千代は女性で陣中にはいけないので、文を書くことに・・・。
別れの文で、それを竹中に一豊が読んで伝える。
竹中半兵衛 「私は千代殿から生きて楽しむことを学びました」
竹中半兵衛 「私が生涯愛した女子は、千代殿でござった」
と最後に言って亡くなる。
でも、死に際にそんなこと言っても困りますでしょう(^^:。
この告白にどのような意味があるのか判りませんが、
テレパシーで千代に死んだことを伝える。
蟲の知らせというヤツかな?
そして、次回に続く。
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荒木村重
戦国時代・安土桃山時代の武将。利休七哲のひとり。
摂津国池田城主・池田長正の家臣・荒木信濃守義村の嫡男として池田(現・大阪府池田市)に生まれる。幼名を十二郎、のち弥介(または弥助)。最初は池田氏の家臣として仕えたが、織田信長が上洛してくるとその配下となる。智勇に優れており、信長からその才を認められて摂津一国を与えられた。
しかし天正6年(1578年)、有岡城にて突如、信長に対して反旗を翻す。これには今でも諸説があり、理由は明確にされていないが、石山本願寺や足利義昭と密かに通じていたためという説が有力である。やがて織田軍 中国方面軍団長の羽柴秀吉から、村重と旧知の仲でもある黒田官兵衛が使者として有岡城に送られてきた。だが村重は官兵衛を拘束し土牢に監禁した。その後、織田軍に対して1年の間、徹底抗戦したがかなわず、単身で毛利氏に亡命し、有岡城に残された妻子一族は皆殺しにされている。
ところが、信長の死後に羽柴秀吉が覇権を握ると、大坂に茶人・荒木道勲として復帰を果たし、堺に居を構え千利休らと親交をもった。まさに戦国一、不可解な武将と言えよう。はじめは妻子を見捨てて逃亡した自分を嘲って「道糞」と名乗っていたが、秀吉は村重の過去の過ちを許し、「道薫」に改めさせたと言われている。 江戸時代初期の絵師、岩佐又兵衛は息子である。
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なんというか、不快な表現や演出が多すぎるような気がする。
信長・お市・秀吉をはじめ、人間の嫌な部分ばっかりを強調しすぎていて
不快な気分になるし、早く死んでくれないかな~、とすら思ってしまう。
一豊がいずれ仕えることになる家康はどのように描かれるのだろうか?
では、ここまで。