自己分析② | 妻ターン 〜二児の父の育休・山梨移住生活ブログ〜

妻ターン 〜二児の父の育休・山梨移住生活ブログ〜

都内在住31歳

仕事: メーカー海外営業
→ 子会社出向中 → 2020年7月末より半年間の育休取得

家族構成: 妻(31歳)、長女(3歳)、長男(3ヶ月)

趣味: 映画、音楽、サッカー、お笑い、筋トレ

思ったことを徒然なるままに書こうと思います。


エピソード2  〜日本帰国・学生時代〜

小学4年生になり、父の駐在が終わると本帰国の途につきました。

最初に移り住んだのは横浜。
初めて行く日本の小学校に戸惑いながらも、帰国子女という肩書きもあり、クラスメイトも僕に興味を持って仲良くしてくれました。
この時に今の自分にも通ずる環境に適応する、空気を読むという力を身につけます。

1年ちょっとで母の実家がある千葉県に引越し、以後結婚するまでそこの実家に住むことになります。

中学生になり、自分の人格形成に最も影響を与えたのは部活でした。
アメリカにいた当時、シカゴブルズとマイケルジョーダン全盛期だったこともあり、好きなスポーツはバスケ。
小学生からミニバスもやっていましたが、本格的に練習するのはこれが初めてでした。

ただ、蓋を開けてみると自分の学校のバスケ部は絵に描いたような昭和の部活。

水を飲んではいけない、連帯責任では知らされるなんかは序の口でした。
しかも僕の担任はその部活の顧問で、自分が優秀な生徒を育てているアピールしたかったのか、クラスでも学級委員を任され、合唱コンクールの指揮者をやり、もはや操り人形状態。

ただ当時は自分もその期待に応えたい一心で必死に頑張っていました。

それでも2年生になり、顧問が担任ではなくなると多少監視下から外れ、ヤンチャな友達と遊んだり、色々な経験w

そして、ある時部活に寝坊してしまったことで何かの糸がプツンと切れ、一時部活に参加しなくなりました。

最終的には顧問と協議し、文字通り頭を丸めて夏の大会に合わせて復帰。試合にも出場し、退部で内申に響くといったことは回避しました。

が、この時の理不尽な経験で純粋に努力すること等に対して少し冷めた見方をするようになったのが事実です。

今となっては多少の根性論や締め付けは必要だったのかもと思えますが、やっぱりあの時期に受けた精神的ダメージは一生ものだと感じてます。