自己分析① | 妻ターン 〜二児の父の育休・山梨移住生活ブログ〜

妻ターン 〜二児の父の育休・山梨移住生活ブログ〜

都内在住31歳

仕事: メーカー海外営業
→ 子会社出向中 → 2020年7月末より半年間の育休取得

家族構成: 妻(31歳)、長女(3歳)、長男(3ヶ月)

趣味: 映画、音楽、サッカー、お笑い、筋トレ

思ったことを徒然なるままに書こうと思います。


始めたのはいいものの、早速更新が滞っていたので、久しぶりに書きます。


このブログの目的だった育休取得という決断に至るまでとその後について発信するにあたり、一度自分という人間を見つめ直してみようと思います。




エピソード1 〜幼少期 アメリカ編〜


一般的なサラリーマン家庭に生まれた私は、4歳の時、父の転勤に伴い米国に引っ越しました。

後に当時幼稚園入園前に父の辞令は出ていたものの、両親が日本の幼稚園も経験もさせてあげたいと数ヶ月だけですが、道具も一式揃え、通わせてくれたと聞いています。


米国では平日は現地の幼稚園に通い、土曜日は車で2時間かけ日本人学校に通うことに。

物心つく前からいきなり言葉の通じない環境に放り込まれ、週一ゆえに宿題が多く、毎週6限まである補修校に通うのは苦痛で、頑張ったご褒美にちょっとしたおもちゃをよく買ってもらったのを覚えています。

とはいえ、子供時代の吸収力はやはり伊達ではなく、自慢ではないですが現地校の成績もほぼオールA。おかげさまで現在日本語も何不自由なく使えています。


その後、国内でも一度引越しを経験し、転校をしましたが、アメリカ在住時はいわゆる差別やいじめなどもなく、楽しい記憶ばかりです。


語学力は元より、環境に順応することなど当時の経験が今の自分のルーツと言っても過言ではありません。自分も親となった今、改めて両親の決断には感謝しています。


他方で異国の地で家族だけが拠り所で生活していたこともあり、良くも悪くも我が家は家族の結び付きが非常に強くなりました。特に母は子供が生きがいであり、すべてを僕と妹に注いでくれました。

とても良いことなのですが、このあたりが後々の僕の人生に影響してくることになります。



〜エピソード2に続く〜