延々と続く石段
でも、急ではないので比較的上がりやすい
参拝者は老若男女問わず外国人の方もいらっしゃって色々な言語が聞こえてきます
こちらは
金刀比羅宮(ことひらのみや)
通称:こんぴらさん
★前回の記事はコチラ★
長い石段で有名な香川県の有名観光スポット
少し上がると広場
神馬さん
こんぴらさんて馬多し
そして祓って頂きます
祓戸社
御祭神は
瀬織津姫
他、三柱の神
お隣には
火雷社
御祭神は
火産霊神
他、五柱の神
そして見えてきたのは
でっでかい!
これが本宮か
と思ったら
旭社
ここね、、このまま参詣出来なくて
本宮に行ってから降りてくる感じの順路が決まってるらしくて
ロープが張られてました
道標
寺っぽいぞ
手水舎
コロナの影響で使用禁止🈲
これから先に有る全ての手水舎が使用不可でした。
鳥居
どんどん薄暗くなってきました。
山の中なんだなぁ~
その先には
狛犬さん
護国系の様なお座りポーズですがお顔立ちは浪速狛犬っぽい
その先には古木なので分かりずらいですが
桜と橘なのかなぁ
御神門
遥拝所
鳥居
手水舎
てか、めちゃめちゃ多いんですけど手水舎
今は使用出来ないからアレだけど・・
たどり着くまでに浄められ過ぎて指溶けるんちゃうかな
禊いでいっぱい浄めてから~の
神橋
真須賀神社
御祭神は
建速須佐之男尊
奇稲田姫尊
こんな感じで参道の至るところに社が有るから自然と息が整って疲れません
なので石段、想像以上にへっちゃらです
石段脇には
百度石
御年神社
御祭神は
大年神
御年神
若年神
事知神社
御祭神は
積羽八重事代主神
他、二柱
亀さんVer
やっぱり寺っぽい
そしてやっと到着です
こちらが
本宮
御祭神は
大物主神
ここいらで金刀比羅宮の
~由緒~
神社の歴史はかなり古く創建年等詳しい事は不明ですが、HP等を見ると
昔々、この琴平山は瀬戸内海に浮かぶ島だったそうで、そこに大物主が行宮を建てたのが始まりと言う伝承が残っています。
なので往古は琴平神社と呼ばれていましたが本地垂迹説の影響を受け「金毘羅大権現」と改称され1165年に相殿に崇徳天皇を合祀しました。
又、他にもいくつかの説が有り役行者が象頭山(琴平山の奥)に入った際に護法善神の金毘羅の神験に遭ったのが開山の縁起ともされる。
1573年に松尾寺金光院が金毘羅堂を建立して金毘羅大権現を祀り金毘羅宮は別当とされている。
明治初期の神仏分離令の際に存続させる為に「象頭山金毘羅大権現」を「琴平山金刀比羅宮」に改称し神道の神社となる。
1969年に宗教法人金刀比羅本教の設立認可を受け、金刀比羅本教の総本宮となります。
2020年には社本庁からの離脱が承認され単立神社となった。
by、HPとかウィキとか
由緒を調べていて色々と納得~
いやね、
金刀比羅さんに行くって職場の人に言ったら
{こんぴらさんってお寺ですか神社ですか
って素直~な質問がきまして。。
正直、即答出来なかったんですよねっ
神社なんだろうけど仏教色凄くて、お寺とかでも祀ってたりするから良く分からん。。
そして実際に来てみて色々と寺っぽいな~って思ったのは
寺時代の名残りだったのですねっ
↑寺時代って何?
でも、理解出来てるのに文章におこす力がねぇ🤣
まだ、仏教が日本に伝来してなかった時代は神様だけが信じられていた・・。
そこに仏教が日本にやって来て普及し始めると、神様の子孫な筈の天皇までが仏教を信じ始めたから、どないしよ~ってなって
「実は仏様が人を救う為に神様として姿を表してるんだよ」
って事になった訳です。。
それが本地垂迹説
神仏習合の世界観がそのまま残っている金刀毘羅さん
仏教が伝来する前は大物主命が祀られていて、仏教が伝来してきて崇徳天皇を合祀して大権現になって
明治に入って廃仏毀釈・神仏分離令が出て又、神社に戻ったっていうね。。
時代と政治に深く関与しているから振り回されている感が否めないwww
神社とか色々と行ってる人からすればアルアルなお話でした
嗚呼
又、長々とまとまらん記事を書いてしまった
文字数オーバーになるのでサクサク行きます
嬉しすぎて何枚も写真を撮り
お友達に送ったら・・
こんな画像が送られてきました
おおっ
似ている確かに
そんな感じで
前回の伊勢神宮の月詠宮に御朱印帳を持っていかなくてちょっとしたアクシデントが有ったので
今回は忘れずに持って行ったのですが残念
でも、又来ようと思うので次回は書いて頂けたら嬉しいな~
そんな風に思った味醂でした
てな訳で次回は奥宮で~す
金刀比羅宮
住所 川県仲多度郡琴平町892−1
公式HP
アクセス