某ブロガーさんのブログ記事に
茨木童子なる像がUPされていたので気になって
茨木市まで来てしまいました
前から来てみたかった場所
こちらは
総持寺(そうじじ)
外観
とても大きなお寺さんです
そして、、この日は大阪市内を出た時は雨だったのに
総持寺に着いた頃には雪
しっかりした雪を見たのは今年初でした。。
その位、寒い大寒波と言われた日。。
駐車場前の観音様
一眼レフとかで撮ったら雪の粒も綺麗に撮れるんですかね
スマホで撮るとタテの伸びちゃって雨みたいにしか撮れませんね
まっいいか
山門前
近づくと蓮の葉からセンサーで水が出るVer
手が清められるレベルの冷たさでは有りませんでした(笑)
御手洗い
山門横と、本堂の裏側に有ります
山門(仁王門)
仁王像
仁王像と金剛力士像って何が違うの
気になって調べてみました
基本的には同じそうなのですが、金剛力士像は「金剛杵を持って仏法を護持する天神の像」の総称で、
そのうち、門の左右に安置されているものを仁王像というのだそうです
金剛力士像は、仁王門にのみ安置される像ではなく、一体だけで安置される場合もあります。
そのうち、門の左右に安置されているものを仁王像というのだそうです
金剛力士像は、仁王門にのみ安置される像ではなく、一体だけで安置される場合もあります。
勉強になりました
大きな松の木
おっこっこれはっ
おびんずる様??
雪の日に真っ白な毛糸の帽子を被って暖かそうですね
味醂大好きおびんずる様正式には賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)と言います
本堂の横にいらっしゃることが多いのですが、総持寺では松の下にいらっしゃいました
本堂
山号 補陀洛山
宗派 高野山真言宗
御本尊 千手観音立像
木造で像高は75.4cm有り亀の上に乗っているそうです(秘仏)
~由緒~
寺伝では元慶3年(879年)頃、藤原山蔭が創建し、山蔭の三回忌の寛平2年(890年)に伽藍が完成したとする。
当寺の草創説話は、助けた亀の恩返しと観音の霊験に関するもので、寺所蔵の縁起絵巻のほか、『今昔物語集』などにもみえる。
それによると、開基藤原山蔭の父・藤原高房は、漁師たちが大亀を捕らえているのを見
「今日18日は観音様の縁日だから」と言って、亀を買い取って逃がしてやった。
その日の夜、高房の子・山蔭は、継母の計略で船から川に落とされてしまった。
父の高房はこれを悲しみ、観音に祈ったところ、高房が助けた亀が、山蔭を甲羅に乗せて現れたという。
高房の没後、山蔭が報恩のため観音像を造立し祀ったのが当寺の起源だという。 by、ウィキペディア
さて、本堂で参拝を済ませた後は時計回りに境内を散策~
まずは
開山堂(外から撮影)
中からだと柵が有って全体を撮影出来ないので外から撮影しましたが雪雲で暗いですね
鐘楼
仏様の分身だから優しく突いて下さいね~的な事が書かれていました
金堂
閻魔堂
手入れの行きとどいている池には沢山の錦鯉が優雅に泳いでいました
魚って雪でも水が冷たくても寒く無いのかな元気です
で、、水辺に有るので弁財天かな~なんて思っていたら
閻魔大王様でした
しかし・・雪が凄くなってきた{寒いっ
ケレド・・・楽しい
そして・・
地蔵尊
閻魔堂の後ろに地蔵菩薩・・。
考えて作られている感が有りますね~
地蔵菩薩は閻魔大王の化身と聞いたことが有ります。。
そして・・私は
もしかしたら他の記事に不動明王と地蔵様は的な事を書いてしまっていた様な
削除せなアカンやつやwww
{許して~
と思いながらも調べて見たのですが、、地蔵菩薩が不動明王の化身的な事を書いている場合も有りますね。。
どうなんでしょうか
不動明王=地蔵菩薩=閻魔大王で良いんですかね
詳しい方がいらっしゃったら教えてくださ~い
五社稲荷大明神
これ・・・雪です
雨交じりになってきました・・・。
不動堂
そんな色々と楽しく思いを巡らせる総持寺
探したんだけれど・・・
茨木童子が居ない
調べて見たら、何処かの橋の所に居るみたいですねwww
ここに居るんだと思っていました(残念)
茨木童子を探す旅にも出かけないとねっ
そんな感じで
総持寺は広いので次回に続く・・・・・
総持寺
住所 大阪府茨木市総持寺1丁目6番1号
アクセス 阪急京都線総持寺駅徒歩5分