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ワタシがハタチになったのは 1981年。
ニッポンがお金持ちだった時代だ。 ワタシは貧乏だったけど 親はバブルだった。
親の周りもみんなそこそこに羽振りがよくって お金を持ってたし、使っていた。
どこどこの娘の振袖は200万だったらしいわ。
京都に着物を買いに行ったんだって。 ← まあこの辺りは家柄もよかったけどね
冗談みたいだけど そこらへんの小市民にもそんな人がわんさかいる時代だった。
ワタシは 若い頃から今のセンスのまんまだったので なんていうか
無法者???
地元の同級生とかは、 どんな振袖? 成人式までに彼氏作らなきゃ~~なんていってたけど
まるで興味がもてなくてねーーー みみぴったら。 で ナニを計画してたかっていうと
どうやったら 成人式当日
家にいなくて済むかヘ(゚∀゚*)ノ
ってことばっか。
体育会系スキー部に所属していたみみぴ。スキーの全日本大学選手権
俗に言う インカレ っちゅうのがあったの。
みみぴ大学は 男子はエントリーしてたんだけど 女子部は人数が少なくて出場権なかった。
なら応援しに行って 先輩に訴えて出場権をもらおうっていう算段にして
家出しました。
親にはちゃんと 前もって華やかな成人式はしないよって話したわよ。
着物を着ることが成人式ぢゃないでしょ。
自分で元服気分を味わえばいいんでしょ?
ちゃんと自覚するから ほっといてよ。
やだよ。市民会館に集まって同窓会するのなんて。
ばいばい。
ほんと 可愛げのない娘だからね 笑 ← 成人式だけでなく 全てにおいてこうだった笑
うちの父は さすがワタシの父だから いいぢゃない そうだよ いいこと言うよ
とかいって賛成しちゃったんだよ 笑
けど母は猛反対だったわけ。
当時 母の祖父はまだ商売をしていて 呉服の仕事もしてたから
おじいちゃんにいい顔をさせるためにも いい着物を買いたかったわけよ。 初孫だし。
で 山梨の石和温泉でやってる呉服展示会に ワタシをだまして連れて行ったり
家におじいちゃんの知り合いが来てたりってね。 うちの母の強引さはいまだに健在だけど
自分の思い通りにならないことが許せない人だからね 笑 ← とーたんいわく そっくり母子らしい
そのたんび 直球しか投げられないみみぴは 大喧嘩してやりあってたのよ。
まあさ 親からの精神的自立を目指した段階で それが成人の儀式だっただろう笑
で いまだに結局 親のそばで暮らしてるんだから 自立に失敗してるんだろう 笑
着物を着たくなかったというより きっと母の思い通りになるのがやだった
ハタチの真冬。 ← 今気付いたわ。 やっぱり書くって大事ね 笑 気付きがあるわい
3年後 妹もワタシにそっくりだから 母のいいなりから逃げたかったと思うんだけど
賢さがあるんだよ。 手段が違うわけ。 変化球で勝負するんだよね。
母が若かりし頃の訪問着をちょっとお直しして 着たんだよ。 成人式に。
母も 祖父母も 周りの大人も 文句一つ言わず手放しで褒めてたわ。
そういう手があったのかよ!!
って思ったけどさ。 みみぴの脳みそでは 思いつかなかったわ。
ってことで 成人式の写真はありません。
後悔もしてませんし こういう風にしか 生きられないんだわんって思いまちゅ。
だけど 子供たちの通過儀礼には やったら熱心だぜ 笑
ちなみに うちの夫も同じ年の八王子市民なんだけど 成人式に不参加だったんだって。
それは 仕事をしていたから・・・ ごくろうさん 笑