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数十週間。 


私の身体は 何も知らないはずなのに ちゃんと命を膨らませて育ててきた。


私の脳は 何も知識を持っていなかったというのに。


いや 宿っている側の知恵なのかもしれない。


私の身体に寄生して 生き延びるための実力。





私は私自身の中に いつだって希望や未来を抱いて 夢に掲げて生きてきた。


夢の育て方も考えたし 勉強したし 体現しようと努力もした。


膨らませては彼と共有し 夢に時間も能力も何もかもを 注ぎこんできた。





だけれども その努力よりも ずっと大きなエネルギーが今 胎内にいるんだというのは


感動より ずっと痛みを伴った感想だった。 


自分の可能性を どこかに置き去りにしているのかもしれないと どうしても思ってしまった。






第一 自分を置き去りにするほどの大きな出来事のきっかけが


あんな行為の果てなんだから ピンとこない。 快楽のための行為のはずが。


私のお腹でDNAのドキュメンタリーが繰り広げられなんて。


その 見えないドキュメンタリーに 私の夢も人生ものっとられたんだから。。。






自分だけが一番の 快楽と自由と開放感に満ちていた 自己愛の熱量は


どこへ霧散してしまったのだろう?


膨らんでいくお腹の中には 自分中心で充足感を感じていた 我侭で気ままで


いつだって自分の未来に陶酔していた 私自身も入ってるのだろうか?


その感覚が羊水になっていたら とんでもない生物が育ってるに違いない。


ぞっとする。





それなのに 可愛いに決まってると思い込んでいる この平凡すぎる感覚が怖い。






生命が私にもぐりこんできた瞬間から 私の思考のルートが今まで選んだことのない方向へと


勝手に動いていくのが わかる。


かつての私が最も避けて 恐れていた 保身とか 安全とか 退屈とか 平凡という人生。





うすうす 気付いている。

自分の中でナニカが輝きを失い そして違ったモノが鈍いながらも強い光を集めていることに。 




その光への期待とか 希望とか いや 最も強いのは不安だということも解っているのに

私も彼も その光への期待や希望を全面的に 幸福に限りなく近い光だと言い切れるのだ。






小さな光に向かって こんなに愛せる存在だと知らなかった と彼は笑う。


その笑顔を見るたび 私が失ってまでも手にした光の存在に感謝する。


平凡という退屈そうな時間が どれほど貴重な奇跡なのか なんていう


哲学めいたことばかり 考えていることが そもそも平凡なのだ。





平凡を素晴らしいといわざるを得ない人々を嘲笑っていた私を 今でも愛している。


退屈な日常を憎んでいた 刹那で無計画で奔放で勝手だった私を 今でも呪っている。





これからの時間を どう生きるにしても どう暮らすにしても 


私の課題はきっと ずっと 自分なのだろう。


地球に新しい生命を生み出すという 偉業を成し遂げても


悩みの種は自分の中にあるようだ。






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エッセイじゃね?? って思った方


いやいや 半分 創作です 笑


小説のほう 土日は お休みしまーーーす