一方、夫は仕事をしながら英会話を学んだり、仕事外のことでも知識を蓄えたりと非常に勉強家でした。
海外出張も多く、海外の情報を取り入れて自分の人生に活かすという貪欲さもありました。
私たちの知識の差は日を追うごとに広がり、私は夫が話す情報を頼りにするようになり、自ら何かを習得しよう、学ぼうという気持ちが益々薄れていきました。
そのため、家庭内の問題は ほぼ全て夫の意見で解決を図るのが我が家の通常になっていました。
私自身、そもそも面倒なことは考えたくなかったので夫に任せることで楽をさせてもらっていたのです。
ただ、息子の発達障害の診断については、私が主導で行いました。
息子の行動を逐一メモしたものをあらかじめ主治医に渡すなど、万端の準備をし、親子3人で小児精神科の専門病院に足を運びました。
私としては診断名をはっきり付けてほしい気持ちがありました。
高校受験を控え、中学校の先生に障害を考慮に入れて成績を付けてもらいたいという下心があったのです。
しかし、私の行動は夫にとっては面白くなかったのだと思います。
息子が障害を盾にして怠惰になる恐れがあると前々から考えていた夫にとって、病名が付くとより一層なまけ癖が付くと危惧したのかもしれません。
息子に対する徹底したしつけは、障害を口実にさせないという考えと、私の息子を甘やかす態度への抗議を含んだものだったのかもしれません。
彼は「息子の人生」という大局的な視点で物事を考え、私は高校受験という目先のことに捉われた行動をし、お互い息子の育て方をきちんと話し合わずに放置した結果、息子に多大な損害を与えてしまったのです。
明け方、神様にお祈りする中で、最も幸せにすべき我が子を最も不幸にしてしまった自らの過ちを悔い改めています。
夫も、家のことより仕事を優先する私の態度に、口にこそ出さないものの不満も多々あったのだろうと今ようやく考えられるようになりました。
生活に関する問題を丸投げしておきながら、息子の受診に関しては夫の気持ちを汲まずに勝手に行動し、息子を甘やかすことしかしない私に対する怒りも息子への度を越したしつけにないまぜになっていたのかもしれません。
夫婦があらかじめ息子の育て方を話し合って、共通認識の元しつけをしていれば、感情的な暴言・暴力は回避できたかもしれない。
本当に私は親になる資格など持ち合わせていない人間だったのだ。
明け方神様と対話する中ではっきりと認識したのでした。
続きます。