mi-column(ミコラム) ~時事ニュースから社会を読み解く~

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法律事務所職員(福祉系NPO法人担当)が
話題の時事ニュース(主に法律・社会・福祉関係)を中心に、
実(み)のあるコラム記事を発信します!(^▽^)/

気が向いたときに、コラム記事を掲載していきます。

どうぞお楽しみに・・・リンゴ



※第三回目のコラムの更新を開始しましたパソコンアップ

※ミニコラムは、随時更新していく予定です。


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~2.他者評価を求める性~


このように、サービスの目指すところが“人々の満足感を最大限に引き出すこと”に求められ、その一方で、嘘をつくことへの罪の意識は軽視されてきてしてしまったことが、今回の偽装問題の根底にはあるようです。では、人々の満足感を引き出すために、なぜ嘘をついてまでネームバリューを利用することが必要だったのでしょうか。その理由となる国民性を実証できるデータを挙げてみましょう。


まず、毎年英国BBCが実施している「国別好感度調査」を見てみることにしましょう。これは、25か国で共同実施されるもので、各国の人々が各々の国に対して「世界に良い影響を与えている」か「悪い影響を与えている」かを選択するという世論調査です。(ちなみに2013年の調査では、日本は「世界に良い影響を与えている」とされた国の第四位(昨年は第一位)となっており、世界から高い評価を得ていることが伺えます。)

さて、ここで注目すべきは、「日本人が自国に対してどのように評価しているか」という点です。通常は、世界からの評価より自国への評価の方が高くなるのが一般的です。例えば、アメリカを見てみると「世界に良い影響を与えている」という評価は世界評価が44%のところ自国評価は65%です。同じく中国は世界評価が40%のところ自国評価は77%、韓国は世界評価が35%のところ自国評価は64%です。これらの数値から、一般的に自国に対しては過大評価をしやすい傾向があることが読み取れます。しかし、日本の結果を見てみると、世界評価が52%なのに対して自国評価が45%です。世界からの評価が高いにも関わらず、自らは自国を高く評価していません。これは、世界的にみても非常に特殊な現象です。


これと同じような現象を表すデータは「日本青少年研究所2011年報告」でも見られます。これは、日本・アメリカ・中国・韓国の高校生を対象に、それぞれの国の子どもたちがどのように自己評価をしているかを調査したものです。いくつかの項目を抜粋してみますと、「私は価値のある人間だ」と思う人数の割合はそれぞれ日本7.5%、米国57.2%、中国42.2%、韓国20.2%、「自分を肯定的に評価するほうである」と思う人数の割合は日本6.2%、米国41.2%、中国38.0%、韓国18.9%、「私は自分に満足している」と思う人数の割合は日本3.9%、米国41.6%、中国21.9%、韓国14.9%、「自分が優秀だ」と思う人数の割合は日本4.3%、米国58.3%、中国25.7%、韓国10.3%といった結果が表れています。

後者の調査は高校生に限定されてはいますが、どちらの結果も、日本人の自信のなさ・自尊心の低さを読み取ることができるでしょう。これは、「謙虚さ」や「謙遜」という言葉で済ましてよいものかと考えてしまうほど顕著な数値です。

これらのデータから、日本人は、仮に十分すぎるほど実質が伴っていたとしても、自己を高く評価することができず、自己評価だけでは満足感を得ることができない特徴があるといって良いのでしょう


今回の食材偽装問題を受け、「日本の行き過ぎたブランド志向を考え直すべきだ」との意見も多く挙がりました。確かに今回の問題は、ホテル等の高級感が求められる現場が舞台となっていたため、「ブランド志向」という点に意識が向かいがちでしたが、本当に重要なのはそこではありません。多くの日本人は、常に他者評価を求める傾向にあり、他者評価が受けられるならば、それはブランドでなくても構わないのではないでしょうか。和牛であったり、芝エビであったりすることは、単に“ホテル”=“高級”という他者評価の一環として、自分が納得するために利用しているに過ぎないのです。


テレビや雑誌に載っていたというのも、行列のできている店舗に殺到するのも、食べログなどの口コミサイトが流行るのも、情報をランキング形式で受けるのを好むのも、結局全て同じことを意味しています。自分以外の他者の基準があれば、どんなことであれ自信がつき、心から楽しめるようになるのです。「自家製」や「有機栽培」等の表記をメニューに多用するのも、その名前のもつイメージが自分以外の他者(社会)から良いものとして受け入れられているため、できるだけそうした他者評価にすがっている現れともいえるでしょう。


日本人の多くは、誰もが同じ秤によって判断できる基準をいつも追い求めています。その点において、「メニュー表記」とは、心許なさを穴埋めし、一定の安心感を生み出すことのできる、格好の手段の一つであったのです。誰もが耳にしたことがある基準を駆使し、「○○の○○を使用した○○」といったようにその料理名を飾り付けることで、ホテル側と利用客はともに「高級感」のある空間を共有することができていたのです。

今回の食材偽装とは、他者評価を内在させなければ満足できない国民性が大きな原因となっているといえるのです。



→次回:日本人特有の“サービスの概念”について考えます。















 ここまで、「取り締まる法的基準が明確でない」「被害者が明確でない」という食材偽装問題の二つの特徴について考察してきました。これらの特徴から、この問題は、単に犯人を批判すれば解決するような問題ではないということを認識することができるでしょう。

 

 とはいえ、偽装が業界全体で横行していたという事実自体については、決して容認して良いことではありません。なぜなら、間違った情報が流れることを放置するということは、「正しい情報を得て正しい判断をする」という行為がなしえなくなる社会に繋がるおそれがあるからです。そこで、同じ過ちが繰り返されないようにするためにも、なぜ偽装が長い間横行していたのかを深く理解しなければなりません。
 もちろん、そこには、他の食品偽造と同様の“経費削減や売上重視”等の理由があるでしょう。また、“周りがみんなやっている(慣例となっている)から特に気にしなかった”“組織としてのシステムが機能していなかった”といった理由もあるでしょう。しかし、今回の偽装行為が、ここまで長期間に渡り、業界全体で日常化していたということを考えると、それだけではない、日本人のサービスに対する考え方そのものが影響しているように思えてなりません。

 

 その答えを導き出すために注目すべきは、今回のメニュー偽装が発覚した店舗の多くが、ホテルや百貨店等、上質なサービスを提供する業種に集中していた点です。試しに、ホテルの視点に立って、なぜ食材偽装が横行したのか、その背景を探ってみることにしましょう。



~1.ホテルの視点から背景を探る~  

 

 不景気や食材高騰等の厳しい社会情勢が続く中、昨今の飲食業界内では客を奪い合う熾烈な争いが繰り広げられています。これは、ホテルのレストランも例外ではありません。ホテルも他の飲食店と同じように、生き残りをかけて、他の店に勝るポイントを消費者に強くアピールしていく必要があります。

 そこで、ホテルならではのサービスを考えた際に重要となるのは、やはり「上質で特別な時間を提供する」ということでしょう。利用客の多くは「いつもより少し背伸びして、心地よく特別な時間を過ごしたい」という思いを抱いてホテル利用を選択するからです。
 この
「特別な時間」を提供するために欠かせないものが「高級感」を演出することです。空間づくりや接客など、「高級感」は様々な方法で利用客に提供することができます。しかし、いろいろと趣向を凝らしたサービスを提供したとしても、それらを利用客側がきちんと受け取ることができなければ、そのサービスが利用者の満足感の向上に繋がることはありません。単に良質なサービスを提供する・受けるというだけでは、サービス提供者にとっても、利用客にとっても、一定の心許なさが残ってしまうのです。
 

 しかし、そうした心許なさを、いとも簡単に払拭し、ホテル側とと利用客側が「高級感」を共有できる方法があります。それは、「ネームバリューとそれに付随するイメージを利用する」ことです。
 例えば、そのホテルのレストランのサービスに、「ミシュラン三ツ星」というネームバリューが付いたとします。そうすると、利用客は自分が受けているサービスに対して、それが上質のものだという確信が持つことができます。「私は今、一流のサービスを受け、特別の時間を過ごしている。他人から見ても、その人も違うことなくそう思うだろう。」という安心感です。そしてホテル側も、特別な時間を求める客の要望に応えることができているという強い自信を持つことができるでしょう。
 

 このように、利用客を心から満足させるために、ホテルはネームバリューを駆使することによって“分かりやすい”形での高級感アピールをすることを徹底してきたのではないでしょうか。それは、ホテルが“高級感を受動的に味わえるテーマパーク”を演じてきたともいえるかもしれません。そこを訪れた人々が、特に自分から何かをしなくても“高級感”に溢れた世界に浸れるようにすることが目的となり、たとえそこに真実と違うことがあったとしても、それは“正当な演出”だというような発想すらも生じていたのではないでしょうか。そして、これこそが、食材偽装横行の背景に存在した日本人のサービスに対するそもそもの考え方の核心であると考えます。



 →次回:日本のサービスとネームバリュー利用の関係について考察します。


ⅱ明確な被害者の不存在


二つ目の特徴は、今回の一連の食材偽造の多くが内部調査や内部告発から発覚していることから導くことができます。これは、突き詰めて考えると、犠牲となった被害者が必ずしも明確な形で存在したとは言えないことを意味しています。  


例えば、「芝エビとメニュー表示されていたものがバナメイエビだった」という事例については、プリプリとした食感で日本人好みといえるのはバナメイエビの方とも言える、などということが話題に挙がりました。この二種類のエビは、実際には2倍ほど値段に差があるようですが、芝エビがどのようなものかを理解していた消費者は少なく、その多くは名前の響きから「なんとなく高級で美味しそう」というイメージを抱く程度であったようです。つまり、「芝エビがバナメイエビだった」ということだけでは、そこに明確な“騙す側”と“騙される側”という関係性があったとはいえないのです。

また、「ビーフステーキ とメニュー表示されていたものが実際は牛脂注入肉であった」という事例もありましたが、これはフランス料理の「ピケ」という技法に似た加工を施した牛肉のことを指しており、味や安全性は(しっかりと火を通してあれば)問題がないもののようです。この二種類の牛肉も仕入れの値段に大きな差があるようですが、消費者が求めるものが「高級な雰囲気と美味しいもの」であるという場合には、やはり“騙す側”と“騙される側”という関係があったと断定することは難しいでしょう。


加えて、今回の食材偽装は、賞味期限切れのものを使用したというような、健康を害する危険性を孕んでいる事由は特に見当たらず、食事をしていて気がつくような味や質の低下も取り立てて生じていなかったようです。食材偽装が発覚した店舗の中には、ミシュランの格付けを得ているところも存在していますが(従って、見抜けなかったミシュランを批判する声も挙がっているようですが)、逆を返せば、それだけ料理や附随するサービス全体に高いレベルが保たれていたと言うこともできるでしょう。


つまり、今回の一連の問題のほとんどは、メニュー偽装があったという点を除けば、サービスそのものには問題がなかった(少なくとも一般人の感覚においては、実質的価値を著しく損なわせるようなものではなかった)といえるのです。

今回の食材偽装によって被害を受けたものをあえて挙げるとするならば、発覚した後の「人の心情」ぐらいなもので、その程度は、サービスを提供した企業の体制等によっても大きく異なります。消費者は、サービス全体を通して見ればそれほど問題がないと思えるような企業に対しては「そこまで騒ぎ立てるほどのことではないのでは」と思えるでしょうし、暴利や悪質さが目立つような企業に対しては大きな怒りを抱かずにいられないでしょう。

メニュー偽装・誤表示があった企業をこれでもかと探し並べ挙げ、それらを無分別に批判したマスコミの対応には、おそらく違和感を覚えた方も多かったものと思われますが、その違和感の原因の一つには、この「明確な被害者が存在しない」という点が深く関係しているのではないかと考えます。



→次回:食材偽装横行の背景に存在したものを探ります。