家で一人になれた朝。

娘ちゃん、今朝は7時に起きて9時からの1科目の追試に出かけた。

ちゃんと自力で起きた。

午後は一人カラオケに行くと言っている。あ、お楽しみがあるのね?

娘の現状に過度な期待をせずにいられるようになった私。成長した!

人って変われるのかもしれない…。

自分のこれまでを振り返り、

かわいそうだった自分を慰めて、頑張った自分を褒めて

失敗した過去や、そうせざるをえなかった自分の境遇もかみ砕いて

娘ちゃんの人生を見守る。

 

娘ちゃん、自閉傾向はあるけど、自分を見つめてる。

時々、客観的に自分を見つめている様子を話す。

ネットで『虐待を受け続けていると発達障害と誤診されることがある』と読んだ。

娘はそれかもしれないな。主治医には『発達要害ではない』。

てことは『母であるあなたがしていることは虐待です』みたいな?

…だから入院を勧められたってことか。

 

昨日の夕方、テレビで見た能登半島。

ご家族を失った遺族が『がんばろうね』って肩を抱き合ってた。

そういう時は抱き合うんだね。新鮮に見えた。

これまでは、感動的なシーンに遭遇してもそんなふうに見えなくて、ただただ涙してた。

“共に生きる”とか“生きる喜び”とか、何か母から身をもって教えてもらったこと?思いつかない。

もし、大災害が起きて家が燃えちゃって父も亡くなったら、母と抱き合う?

しない。どうするか?ただただ一人で泣く。

そういえば、小学生の頃、バレーボール大会か何かで優勝して、みんなで抱き合った時に

“気持ち悪い”みたいに感じたこともあったな。

小学校のトイレで、寒いから“おしくらまんじゅう”をしても、密着しすぎて気持ち悪かった。

娘が不登校で泣いていた時、思わず肩を抱いてさすってあげて一緒に泣いた。

そうせざるにはいられなかった。そういうのを愛着っていうのかな。

 

私ってコテコテの異邦人。異邦人にしか理解できないこの感覚。

やはり、極刑を言い渡される類の人も異邦人なんじゃないかと思う。

人の愛が注がれれば、少しづつ人間に変われるかな。変われてるな、私。

よく頑張って生きてきたな。あ~まいった。

あ、父がいてくれたからコテコテではないか。バレンタインに墓参りしよ。