【玉置神社】自我の崩壊(5年前のお話) | ロジカル✖️スピリチュアル

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幼いころからあるスピリチャリティな感覚、会計業界15年の知識と経験や脳科学を駆使したコーチングをしています。
コーチングとは全てを自分の都合よく進めるためのものではなく、あなたの人生をあなたが「豊かだ」と感じられる方向へ進めるためのものと考えています✨


玉置神社へ行く途中の十津川

5年前の記事です。
必要な方へ届きますように。


玉置山で起こった
自我の崩壊


備忘録として残しておきます。


興味のある方は
どうぞ読み進めてみてください。




本当に怖かったのですが


これがエゴと真我の狭間やと
確信した出来事です。



玉置神社の参道を歩いていると...


あなたは誰ですか?
と、聞かれた。



何度も。
何度も。



あなたは誰ですか?




え?
私って誰なんやろ?


えっと、
名前は~
住所は~
仕事は~


と答えようと思ったけど
そんな事を聞かれてるんじゃないなと
瞬時にわかった。




名前も
住所も
肩書きもなく
○○さんの奥さん
〇〇ちゃんのママ



でもなく、




この玉置山の中で



神様に聞かれて
答えられることは
何もなかった。





すべて脱ぎ捨てて

魂まで辿り着くと




私 は 私です。



それだけ。



それしか答えようがなかった。






その感覚になった

『わたし』は


いつも自分が認識している

『私』ではなかった。




『わたし』は何を見てるんやろう。


『私』は何のために
この世にいてるんやろう。


『わたし』が見えているものと
『私』が見えているものは違う。



『わたし』にはなんのフィルターもない。




こんな山奥で
自我は何の役にも立たない。



誰にも通じない。


この次元にはいらないもの。



熊にも
蜂にも
蝶々にも
神様にも
説明のしようがないもの。




それは人間界で生きていくには
必要なもの...?


いるんかな...?




社会生活を送るためには

名前や
肩書きは


人間界で
『何をしているか』
『どこのだれか』を
周知するためにいるのかもしれない。




けど、
私が心地よいと感じる
あちらの世界では
魂の世界では
全く必要の無いもの。




名前とか
住所とか
肩書きとか
年収とか




どうでもいい。




というより、
この世界にはその




概念がない






そんな『わたし』から
『私』を見た時





縮こまったエネルギーで
生きてるな...爆笑




って、笑ってしまったてへぺろ




もっと自由な世界はあるのにヽ(*´∀`)ノ




って。






でも、自由って何やろ?びっくり




この『自由』ってタイトルで
7歳の私が書いた詩があります。

親がびっくりして
そのノートを
置いておいたらしい(笑)

こんなことを小さい頃から
考えてたみたいです( *^艸^)


『自由』

自由ってなに?

自由ってだれかにもらうものではなく

どこかにあるのでもなく

自分でつくるもの。

自由って自分でつくるんだよ!



どんな7歳や。
大丈夫か(笑)




自由って好き勝手に
やることではなくて...




もちろん
3次元に生きる以上
夢想家ではいられない。






でも





この世の常識に
心が縛られないこと





心地よいエネルギーが
循環する場所で生きること




それが




自由に生きるって
ことじゃないかなと




玉置山にいてる
『わたし』は思いました。





心のままに
自由に生きること



...




もしかしてこれが
私が伝えていかなければならない
ことの1つなのかな?と感じました。






あなたにとって

自由ってどんなイメージですか?




そこに魂の本来の望みが
あるのかもしれませんねピンクハート