惠ちゃんのブログのお写真、とってもお洒落ですね、まさにスター




チューちゃん様のブログです「拡散希望紅の蝶の投票が出来る」

2時間と長いので、最初の1時間のキーワードだけです
※垣花正さんのトークは青です
20時19分長野で震度5弱の地震、この番組は信越放送でも放送中、皆さん大丈夫でしたか?
長野県岡谷市ハリヤーさん
「先程地震がありました、アラームが鳴った瞬間から自宅が揺れ本当に怖かったです、こういう時ですが素敵な番組を宜しくお願いします」
余震の恐れ、皆さんお気をつけて、少しでも安心してお聞きいただけるように、寄り添えるラジオ目指して頑張ります
この山内惠介オールナイトニッポンGOLDは2年4ヶ月ぶり、2回目の担当、ただいまです、今日は高田文夫先生のラジオビバリー昼ズにも出演した、今日何で担当する事になったのか、今日は僕の25年目のデビュー日、イエイ!ニッポン放送をお聞きの方は僕を認識してくださってるのでは?2008年から2012年まで、人気パーソナリティ垣花正さんのあなたとハッピー!で中継コーナーに出演、中継コーナーは外で過酷、集まってくださったリスナーの皆さんの顔が蘇る、相当昔の話、前回は中継卒業して10年ぶりにこのGOLDを担当した、時間かかり過ぎ、なんでもっと早くやらせてくれなかったのか、ニッポン放送を海老名ビナウォークで卒業、その3年後に紅白出場、去年で10年連続、今25周年のコンサートツアーをLINEキューブ渋谷からスタート、10ヶ所回った、中継の事を思い出すと夢のようなコンサートです、デビュー日にGOLDを担当出来るなんて幸せ、今日はゆかりのあるゲストも出演、生歌も予定、25年分の感謝を込めて2時間お届けします
タイトルコール「山内惠介のオールナイトニッポンGOLD」🎵この番組を担当するのはいっぱしの芸能人になった証?テレビでひな壇に並ぶと凄いという証、今週火曜日は埼玉県越谷市、来週金曜日は岡山市でコンサート、岡山の山陽放送でも流れてる
今日僕は早起きした、ニッポン放送へ、その後支度をして有楽町マルイ7階で25周年企画展を開催中、僕のヒストリー、紅白の衣装などを展示、沢山の人が整理券で並んでくださった、5月まで開催、是非行ってください、東京は今日凄く良い天気、葉桜になった、ツツジの季節、明日は根津神社のつつじまつりに参加したい、有楽町マルイ7階にも是非
全国19局ネットで生放送中、メッセージテーマ「あれから25年」募ってます、例えば25年前初めて買ったCDが惠ちゃんのデビュー曲でした、とか
この前いただいたお便り「母の影響でファンになった、25年経って3世代でコンサートに来てる、孫と4世代で行くのが夢」四半世紀ならではのエピソード
デビュー24年目にして初めてレコード大賞で優秀作品賞を貰った作品、山内惠介「紅の蝶」
ただすけさん
「もしかして緊張してますか?テレビではもっとお喋りだったような」
面々の圧力が凄い、もっと出来るだろみたいな、ディレクターさんとも少しずつ間合いが合うんじゃ
今日からデビュー25周年目に突入する僕の歌手生活について
神奈川県マッキーさん
「惠介さんと同い年、25年は長い、垣花正さんのファン、惠介さんが5時に夢中!に呼ばれますように」
デビューした時は現役の高校3年生、17歳、上京は2000年秋、きっかけは1999年秋に佐賀県基山で行われたカラオケ大会、作曲家水森英夫先生にスカウトされた、本当は中山大三郎先生をお迎えしてというタイトル、先生がご病気、ピンチヒッターで水森先生、北島三郎さん「男の劇場」を歌唱、変わった声、磨けば歌手になれるかも、名刺貰って、優勝も、それがきっかけ、小さい頃から美空ひばりさんの歌を聞いて育った、物心ついた頃には「みだれ髪」を覚えて最後のファルセットに返す部分を真似して歌った、親や親戚がもしかしたら歌手になれるんでは?演歌・歌謡曲を歌えば年齢が離れた人と会話が出来る、今も同じ、懐かしい歌で距離が縮まる、それが演歌・歌謡曲の魅力
2001年4月18日「霧情」でデビュー、キャッチフレーズは「ぼくはエンカな高校生」、6年間はビクターに事務所も預かって貰った、普通はレコード会社と事務所は二足の草鞋、僕の場合はレコード会社が力を入れてくれた、あまり芽が出ず冬の時代、2007年今の事務所に移籍、その頃ニッポン放送とご縁が出来る、「つばめ返し」を発表、佐々木小次郎に扮して歌う、ニッポン放送のディレクターが扮装して中継出たら面白いよね、扮装に人が集まる、ラジオなのに扮装して出た、最初は週1、最終的に丸5年担当、その時の相手は飯田浩司アナウンサー、明日フォーラムホールAで講演凄い、5000人、いっぱいなのかな、ニッポン放送が有楽町の会館を持ってる、僕も11月6日に開催、是非足を運んでください、宜しくお願いします
僕は中継を卒業した時、「涙くれないか」を歌ってた、せっかくの大チャンスを失ったと思った、中継やってる時に紅白に出たい強い思いがあった、事情で卒業せざるを得なかった、それが大チャンスだった、週二回在京しなくていい、長期間のキャンペーンを組む事が出来るように、お芝居で「恋の手本」、「釧路空港」というナンバーで宣伝特使、色んな催しに顔を出せるように、2015年「スポットライト」で花開いた
2020年20周年ツアーがコロナで中止に、唯一11月6日日本武道館でソーシャルディスタンスを取り昼夜2回公演、昨年まで10回紅白出場、ニッポン放送で開局60年の記念の映画を撮らせて貰った、2018年明治座初座長公演、お相手が南野陽子さん、僕のお母さん役、懐かしい、「さらせ冬の嵐」を歌ってた
近年は25周年を目標に新しい事にチャレンジ、作曲がずっと水森英夫先生だったのをクラシック界のレジェンド村松崇継先生にお願いした、2023年「こころ万華鏡」発売、去年から千葉ロッテマリーンズのヒットコールに選ばれた、「紅の蝶」でレコード大賞優秀作品賞を受賞、今年は25周年、2年ぶりに恩師水森英夫先生作品「北の断崖(きりぎし)」、朝ドラデビュー、僕の故郷は福岡県糸島市、この春まで朝ドラの舞台だった、本人役、松平健さん扮する永吉さんに、糸島のスナックで歌う事に悩んどった時にカラオケば歌ったら、君には才能がある、自信を持って歌いなさい、と励ましてもろうたんです、という設定、葬儀に出て加山雄三さん「君といつまでも」を一節
作詞麻こよみ先生、作曲水森英夫先生「北の断崖」
スタジオに見慣れた顔、今日は助けてください調子悪い、ニッポン放送あなたとハッピー!の垣花正アナウンサーです、私を知らない惠ちゃんファンの方ちょっとウザいかもしれませんが、山内惠介の育ての親面しております、今日はとっても嬉しい、あの山内惠介が緊張してるから、紅白10回出場歌手、色んな舞台を経験、なのに初々しい、あなたは私の中で紅白の歌手、現三井会長といつかは紅白がんばれとやってて、中継を外れて羽ばたいて、そういうタイミング、5年やらせて貰った長い、紅白初出場記者会見、取材パス無くて入って、名刺だけで入れた最後の年、有働由美子さんの司会、幕が開いたら山内惠介さん、星野源さんもいた、あの時のトキメキを忘れない、あの時は身内、年を重ねる毎に紅白の常連、めっちゃ嬉しいけど寂しい、惠ちゃんは今どんな歌を、どんな人に会って感動したのか、聞きたいけどいつまでも親戚面してるのもナニかな、聞いてくださいよ、こんなオシャレなシャツ着る人になかなか聞けない、キメすぎてる僕がガチガチに、外ヅラなんだ今日、そうよ外ヅラよ、昔からのファンも新しいファンもいる、惠ちゃんも色んなファンの顔が浮かぶと思う、中継コーナーの思い出話だけしてりゃいいって感じでもないのがわかる、大事だけどその時代を知らないファンがいる、その話ばかりすると妬く、でもその話を掘り下げるのがニッポン放送、ニッポン放送との付き合い止めた方がいいよ、なんで⁈そう言ってくれるのをわかってる、あなたの性格よくわかってるから、俺が聞きたいのは最近の惠ちゃん、去年の紅白素晴らしかった、その年発売した歌を歌えた時代があった、2019年「唇スカーレット」まで、コロナから2008年の「恋する街角」を3年連続、NHKの方もあの歌好きですね、名曲、歓楽街を元気にしようという事で、紅白が有楽町フォーラムで開催されるので「有楽町で逢いましょう」、フォーラムの渡り廊下で、僕自身は中島みゆきさんの黒部ダムのイメージで歌った、有楽町の夜景がチラッと見えた、ニッポン放送の中継やってた時代が今繋がったんだな、俺も思った、思わないでしょ、だって有楽町だよ、有楽町はニッポン放送のお膝元、惠ちゃんが建物の外に出て夜景が映る、嬉しかった、惠ちゃん有楽町に居るんだやっぱり、どうやってこの歌に寄るかと思ったらニッポン放送だった、この歌を歌うべくしてニッポン放送に足繁く通わせて貰ってたんだな、嬉しいっすね、それでは「有楽町で逢いましょう」、用意してないって、次に浅草行って、印象的でした、去年は自分の新曲、そうです「紅の蝶」、PVにかける金額が上がってるのも感じる、お金の話はしない、スターだから素晴らしい、僕も叫びますからご近所迷惑にならない程度に、よろしくお願いします
山内惠介「恋する街角」
(ビバリー昼ズの放送が流れる)聞いてた、だってこういう風に言わないと、僕の事ウザいなんて1ミリも思ってない事知ってる、思ってない、ウザがってる
札幌市
「10年連続紅白出場凄いです、印象的な回と去年の出演について聞きたい」
毎年バタバタ具合いは同じなのか、外からやると違うのか、生放送なので同じ、ダンサーの方達もパンプアップで腕立て伏せしたり、どのバラエティに出ても惠ちゃんは変わんないね、必要以上に力んでウケ取ろうとしない、自然体、アレは凄い、難しいけど楽しくお喋り出来ればいい、難しいと思ってないでしょ、思ってます、さんまさんが目の前にいる、歌手以外で誰に会えた時が嬉しい?子供の頃から見てたMCの方だから嬉しいとか、山田邦子さん、憧れ、出会いはラジオ、僕は鳴物入りとかデビュー時名付けとか応援する人がいなかった、憧れてた、後ろ盾、山田邦子さんとご一緒すれば芸能界のイロハを教えてくれるのでは、飲みの席とか、礼儀だけじゃないね、邦子さんが大勢いても隣に僕を座らせてくれて可愛がってくれた、山内惠介良いよって応援してくれた、推しは山内惠介と言ってくれた、自分を推してくれる人を探す所からスタートした、誰が探してくれるわけでもない、惠ちゃんのお客さんがどんどん増えてる時期にコンサートに行ったら、山田邦子さんが法被着てた、「邦子さん何してんですか?」「私は山内惠介命なのよ」と言ってくださってた、惠ちゃんついに山田邦子さんが御輿担いでくれるようになったんだと思った、芸能界で一番最初に推してくれたのは山田邦子さん、ほどなく高田文夫先生が惠ちゃんをコラムにも書くしビバリーでも話すし、毎回コンサートにも、全然来てくれない垣花さん、コンサートの時間は5時に夢中やってる、昔は僕のバースデーライブ、ディナーショーをやられてた、今でもやりたいよ、三井エージェンシーに言いたい、事務所の名前言わなくていいです、空いてる時に打診してください、垣花さん忖度するのよね、事務所の会長とか名前を言えばいいと思って
福岡県ヤッピーさん
「今年から受験生、山内さんの故郷糸島の大学が第一志望」九州大学が糸島に来た、「山内さんの力強く美しい歌声を聞くともっと勉強しようとヤル気が湧いて来ます」
大変よね勉強が、何か受験生にアドバイスあります?俺がアドバイスしてどうすんだ、本末転倒、芸能界というある意味大学受験よりも運、人間関係など荒波を超えた惠ちゃんにアドバイスが欲しい、書いて覚えるダメ?僕勉強する時にうす〜くBGM流してた、アルバム1枚が勉強の導入時間になる
ヤッピーさんと同じ17歳の頃、山内惠介デビュー曲「霧情」
僕の都合で申し訳ないけど10時台で帰るんですよ、仕方がない、アラもっとガッカリしてくれるかと、もう1人ゲストが来ると書いてある、飯田浩司じゃないでしょね、誰なんでしょうね、勘が良いから気付いちゃって、俺知らない、スタジオの外出ない方がいいよ今、誰か来ますよ、楽しみ