MHW:Iの設計思想に対する疑問点 | MHXデビュー初心者から見た、一般人向けのモンハン考察ブログ

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攻略サイトなどを参考にしても、使い勝手の悪いスキル構成などが少なくなかったため、普通の腕を持つ人にとって本当に意味のある情報を提供しようと考え、立ち上げたブログです。

  • はじめに
 MHW:Iが解禁されて既に1週間が経った。
 私のMRは99(キャップを外すクエストをやっていない)なので、MHW:Iを完全に遊びきったとは言い難いが、MHW:Iは、総じていえばそれなりにおもしろいと思うし、不便なUIもだいぶ改善されたとは思う。
 もっとも、MHW:Iの根幹に関わる点において、不満がある。

 端的にいえば、上記のとおりである。

 それについて、少し書いていきたいと思う。

 

 

  • ゲームのあり方

 前提として、ゲームのあり方について私見を述べる。

 人によっては、「否定的意見を述べるべきではない」「批判するよりも与えられたものを最大限楽しむべきだ」と思う人もいるかもしれない。それはそれでひとつのあり方だろう。しかし、それは、単なる現状追認にすぎない。メーカー側に「きっとこれこそが、ユーザーが求めているものだ」と勘違いされる危険性すらある。

 いま眼前にあるものを最大限楽しむという姿勢も、もちろん重要だ。しかし、それと同時に、要改善点を指摘することもまた、今後のコンテンツ形成において重要なのではないだろうか。現に、多くのユーザーが指摘をしたからこそ、MH:W初期の斬裂一択の風潮は改善されたのである。

 「嫌ならやるな」というのもひとつの考え方であるが、「もっとこうして欲しい」とユーザー側が指摘することによって改善していく、というあり方も十分成り立つと思われる。私は、そういった相互作用が重要だと考えているし、問題点は問題点として指摘していく必要があるだろう。もちろん、「そういった運動を展開していくべきだ」と述べたいわけではない。良い点は良いと指摘し、問題点は問題があると指摘するのが、あるべき姿ではないか、ということだ。問題点に敢えて目を瞑り、称賛の声だけをあげることが、果たしてよいあり方なのかというと、私は疑問を覚える。

 
 もっとも、ここでいう問題点の指摘とは、「私が気に食わない」という単なる個人的価値観に依拠したものであってはならない。たとえば、私はレーシェンが嫌いであるが、だからレーシェンをモンハンから追放すべきだなどとは考えていない。それは単なる個人的価値観に基づくものであって、価値観を共有しない人に対し説得力のある主張ではないからだ。
 価値観を共有しない人との間でも合意できるような観点から、問題点を指摘する必要がある。たとえば、「斬裂弾を下方修正せよ」というのは、そういった類の指摘である。斬裂弾があまりに強すぎるため、効率的狩猟をしようと考えたら、斬裂弾一択となる。ボウガン以外の武器を担ぐことそのものが地雷となり、またボウガンでも斬裂弾を撃てるもののみが許容されるという風潮になり、多様な武器種を存在させているこのゲームの根幹と矛盾する。だから斬裂弾は下方修正されるべきだったのである。このような主張には、理由がある。
 
 このように、個人的価値観は括弧にくくった上で、異なる価値観を有する人との間でも合意可能な問題点を、指摘したい。
 
 
  • 遊戯のあり方
 今作の最大の問題点は、遊戯のあり方をメーカー側が一義的に規定している点だと考えている。
 端的にいえば、今作は、クラッチクローをすることが前提となっており、半ば強要されているといっても過言ではない。(1)クラッチクローで傷をつけなければ肉質が固くダメージが通りづらい点、(2)弱点特効スキルがクラッチクローをしなければ十分な効果を発揮しない点、(3)閃光弾による拘束力が顕著に低下しており、クラッチからのぶっ飛ばしなどの拘束手段を用いることがほぼ前提となっている点、などからも、このことは窺える。
 たしかに、クラッチクローは楽しいものである。しかし、クラッチクローをしないという選択肢は、ほとんど存在しない。クラッチクローをしなくても狩猟はできるが、狩猟時間は伸び狩猟難易度は上昇する。
 新しい要素を採り入れていくことは、ゲームの進化には必要であろう。クラッチクローを採り入れたことそれ自体には、不満はない。しかし、クラッチクローをすることを強要する姿勢には、疑問がある。
 
 たとえば、モンハンクロスやダブルクロスのように、従前の狩猟スタイル(ギルドスタイル)を有力な選択肢として残しつつ、エリアルやブシドーなどといった狩猟スタイルを並列的なものとして追加するというかたちもあったはずである。なぜそれを採らなかったのか。
 おそらく、クロスは一瀬泰範ディレクターによって制作されているのに対し、MHW:I は藤岡要エグゼクティブディレクターによって制作されており、両者の思想の違いが反映されているからであろう。そうであれば、今作のような設計思想ではなく、Xのような設計思想に基づき制作する方が望ましいと考えられる。
 
 
 なぜ、特定の遊戯方法をメーカー側が一義的に規定することが、問題なのか。
 
 第1に、特定の狩猟方法以外が排除されるという傾向が生じる。端的にいえば、「クラッチクローをしないヤツは地雷」として、排除する風潮が生まれるだろう。多様なスタイルが許容されれば、そういった事態は生じにくい。もちろん、XXでもブレイヴヘビィが猛威をふるったし、ブラキ炭鉱の効率部屋では武器指定のようなものもあったが、そういったものを除けば、特定の狩猟方法や武器以外を地雷として排除する風潮はなかったように思う。
 
 第2に、より重要なことであるが、そこから新しいものが生まれない。メーカー側が遊戯方法を一義的にすべて規定したら、それ以上のものは生じない。遊戯方法をオープンなものにしておけば、メーカー側が想定していない新しい遊戯方法が発見されるだろう。Hayekが述べるように、我々は神ではない。いかに開発スタッフが優れていても、最上の遊戯方法を発見することなどは不可能である。膨大な数の人が遊戯し、そこから天文学的確率のような組み合わせが試行されることによって、偶然の産物として新しい遊戯方法が生まれるのである。遊戯方法を開かれたものにすることによってこそ、新たな発見や進化というものが生まれるのではないか。
 そして、そういった偶然の発見こそが、我々をおもしろくさせるのではないか。

 私はXより前のモンハンをやっていないが、かつてはそうやって新しい遊戯方法をハンター側が見つけていったようである。ただ、七海さんがいうように、現在においてそういう遊び方ができるかというと、疑問がある。

 

 クラッチクローを含め、今作は「ほら、これおもしろいでしょ?これやりなよ」という圧を強く感じる。私を含め、それに疑問を感じる者も少なくないように思う。

 

 

  • フリーライド

 モンハンは、基本的にオンラインゲームである。したがって、そこでは協調的行動が求められる。しかし、現実には下記のような事例が生じているようである。

 もともと、BC待機だとかそういった事例は生じていたし、マムでも高追跡Lvの部屋をわざわざ探してクリアするといった事例も生じていた。後者については、一応の対処はなされたものの、全体的にモンハンはそういった寄生をはじめとするフリーライドに寛容な姿勢が窺われる。

 もとよりフリーライドを積極的に容認する趣旨ではなかろうが、その辺はユーザーの倫理観に委ねるということなのであろう。

 

 しかし、オンラインゲームにおいては、フリーライダーの排除こそ、最も優先しなければならないはずである。フリーライドを許容することによって、「真面目にやるのがバカバカしい」とユーザーに思わせることになる。そうすると、真面目にやっていたユーザーがフリーライドをするようになるか、他のゲームに流れるだろう。そして、ゲームはフリーライダーだらけになって、結局のところ、誰にとっても利益にならないという事態が生じる。ゲーム理論でいうところの社会的ディレンマであるが、そういった事態に陥る危険があるからこそ、フリーライドはシステムのレヴェルで排除しなければならないのである。

 もちろん、ユーザー全員がフリーライドをしないという高度の倫理観をもっていれば、問題はない。しかし、MHW:Iは既に250万本を売り上げている。250万人全員がそういった倫理観を備えていると期待するには、無理があるだろう。むしろ、フリーライダーによって不快な思いをする、ひいては「じゃあ俺も寄生してやる」「寄生されて嫌だからもうモンハンをやめる」と思う人が出てきても不思議ではない。ユーザー側の自浄作用でどうにかできる問題ではない。むしろ、そういった問題こそ、メーカー側が積極的に干渉して是正する必要があると思う。

 

 フリーライドをなぜするのか。それは、短期的にみれば合理的だからである。もちろん、周りが全員フリーライダーになったら、結局のところは全員が損をするのであるが、そういった事態に陥るまでは合理的な行動である。それゆえに、長期的な合理性をもつものか、倫理的なもの以外が、フリーライドをするのである。

 そうであれば、フリーライドの合理性を剥奪するような制度設計をすることが望ましい。たとえば、上記の地帯Lvの問題であれば、ホストが設定したモンスターの属する地帯以外は、地帯Lvを上げることができない等といったものが考えられる。そういったかたちで、フリーライドによって得ようとする利益をあらかじめ剥奪しておけば、フリーライダーを排除できる。そこに倫理を介入させる必要はない。ザッハリッヒな利益衡量によって対応可能である。

 

 このように、フリーライドに対し厳しい姿勢で臨むことが、結果として多くのユーザーにとってやりやすいオンライン環境になるのではないかと思う。

 

 

 

 

  • 売上からみたユーザーの評価
 もしかしたら、メーカー側は、MH:Wが好評を博していると考えているのかもしれない。それゆえに、現状のままでよいと考えている可能性がある。しかし、もしそのように考えているのであれば、そもそもその前提自体に疑問がある。
 たしかに、MH:Wは全世界で1,300万本(日本では290万本)を売り上げたビッグタイトルだ。Xが430万本(日本では280万本)、XXが320万本(日本では190万本)であることを考えたら、とても売れている。
 しかし、MH:Wでストーリーをクリアしたのは、全プレイ人口のうち、45%しかいない(トロフィー獲得比率より)。HR100に到達したのは、わずかに15%だ。宣伝効果もあってか、売れるには売れたのであろうが、果たして好評を博したといえるのか。ストーリーをクリアした人でさえ、半分に満たないのである。むしろ、「買ったけど、なんかイマイチだから途中で投げた」という人の方が多いのではないか。
 MHW:Iは、発売後1週間で250万本を売り上げている(『モンハンワールド:アイスボーン』出荷数が全世界で250万本突破!)。その数字だけみると、非常に売れているようにもみえるが、MH:Wの発売本数の20%にすぎない。もちろん、MH:Wの売上本数には、XboxやSteamも含んでおり、それらの人々はMHW:IをやりたくてもPS4版は買っていないであろうから、単純比較はできない。しかし、Xに対するXXの売上数の比などを考えると、果たしてMH:Wは本当にユーザーから評価されたコンテンツだといえるのか、疑問がある。
 
 
  • 結語
 繰り返しになるが、MH:WおよびMHW:Iは、おもしろいゲームだとは思う。しかし、既存のモンハンプレイヤーにおいても、人を選ぶゲームだったことは否定し難いのではないか。このことは、上記トロフィー獲得率や、MHW:Iの売上比率からも窺える。
 私個人の意見としては、上記の点を再考してほしいと考えている。もちろん、MHW:Iを作り直すことなど、不可能であろう。しかし、フリーライドの排除などはアップデートで対応可能な部分は多いだろう。ゲームのコンセプトに関しては、次作以降で反映させてほしいと考えている。