手術 | 7歳で娘が小児がんに

7歳で娘が小児がんに

2021年7月、小学1年の夏休み目前で娘に腎芽腫(ウィルムス腫瘍)が見つかりました。
当時のことを忘れないためにここに残します。
また、同じ病気と闘った人と出会えたらと言う願いを込めて。。。



一時退院から病院に戻った次の日

朝1番からの手術でした。

パパは、渋滞に巻き込まれないよう、朝早くからお兄ちゃん達のお弁当や朝ごはんを準備して、病院に来ました。

夜、病院のベッドでメソメソする娘を励ましながら寝かしつけ、私は全く眠れず朝を迎えました。


手術室へ呼ばれるまでの時間、手術室に一緒に連れて行くお人形さんに頂いたお守りを付けて抱っこして、パパのお膝で楽しくお話ししました。


もうすぐ出発するので、シロップ飲んでくださいね、と眠くなるシロップを看護師さんが持ってきました。
薬嫌いの娘は飲みたくないと口を開けません。

私は、しっかり覚醒しているより、お薬で少しぼんやりして手術室へ向かう方がいいんじゃないかと思い、飲むように娘にお願いしました。
それでも飲まず、少し叱りました。
そしたら泣きながら飲んでくれました。


8時頃呼ばれて、ベッドごと、手術室に向かいます。
手術室の入り口まで一緒に入れてもらえたので、そこでまた一緒に待ちました。



「◯◯ちゃん、安心してねんねしてたら終わるからね。パパとママは、◯◯ちゃんが戻ってくるまでずーっと待っているからね。病院の中でずっと待ってるよ。愛してるよ」


そう言って、私の顔を見て泣く娘に背を向けて、手術室から退室しました。



どうかどうか。無事に手術がおわりますように。
悪いもの全部取れて出てきてくれますように。


泣いている娘の顔が頭から離れなくて、しばらくは私もパパも黙ったままでした。



少し、気持ちが落ち着いてきてから、コーヒーを飲んだり、会話をしたり、やっぱり落ち着かないと、待っている場所を移動したり…。



手術予定時間は7時間。
16時をすぎてもコールが鳴らなくてそわそわしていると16時40分ごろ
出血が多くて処置に時間がかかっているため、手術時間も延びると連絡が入る。

出血が多い……輸血しているのかな……多いってどれくらいなんだろう………
状況がわからないけれど、心配で心臓が破裂しそうでした。


19時を過ぎた頃、腫瘍は全部摘出しました。今からお腹を洗う処置?をすると連絡がくる。


私はPHSの連絡を取るのがこわくて、パパに全て出てもらいましたが、パパからそれを聞いた時、嬉しくてホッとして、パパに思い切り抱きつきました。
パパ!スタート地点に立てたよ!
良かった。本当に良かった。と。


そして、まだ娘の手術は終わっていないけど副院長からの説明を聞くために手術室にある個室に向かいました。


「長い間お待たせして申し訳ありませんでした。
とても、難しい手術でした。
炎症を起こしていて、とても出血しやすい状態だった。
メスが少し血管に当たっただけで出血が止まらなくなり、たくさん輸血したんだけど、ごめんね。
腎臓も真っ赤に炎症しており、剥がす時に破れてしまい、お腹の中に腫瘍の中身がこぼれてしまった。
そのため、お腹の中を洗浄しました。
それから、リンパの方もいくつか取って検査に出しましたが、僕の見解ですが恐らく転移ではないでしょう。
これだけの大きな手術になってしまったので、今、目を覚ますのは非常に危険です。
挿管したまま2.3日眠らせて少しずつ起こします。
もう少ししたら娘さん出てきますので、眠ったままですが、顔見てあげて下さい。」



と言うお話しでした。

少し前に、飛び跳ねたいくらい喜んだのに。
腫瘍の中身をばら撒いたって。。。
それってガン細胞だよね。。。




手術室から出てきて、PICUに入る前に娘に会わせてもらいました。

朝、泣きながら別れた娘とは別人で

体も顔も血の気がなく真っ白で、手や顔を触ると氷のように冷たくなっていました。

「◯◯ちゃん、よく頑張ったね。
えらかったね。ママずっと待ってたよ。
◯◯ちゃん、愛してるよ」

私が声をかけると、眠っているのに頭を起こそうとしました。
声に反応して、起きてしまったら、苦しいんじゃないかと思い、こわくなって声をかけるのをやめました。


PICUで、また面会させてもらえたのでまた1時間以上待って、やっと会えた娘は、手術室から出てきた時とはまた別人で、顔や体に数えきれないほどの蕁麻疹が出ていて、顔が腫れていました。


恐らく、輸血によるアレルギーと言う事でした。
PICUに入ってから蕁麻疹が出てきて、その処置に時間がかかってしまい、呼ぶのが遅くなってしまいましたとのことでした。


1時間ほどいてもいいと、手術に入る前に言われていましたが、まだ先生も看護師さんもとてもバタバタされていて、娘のためにしてくれていることの邪魔をしてはいけないと思い、また明日来るからねと眠っている娘に伝えて15分ほどで退出しました。


病院を出たのは22時ごろでした。


10時間の大きな手術となり、やっと会えた娘は朝と別人のようだった。

元気になってほしくて手術をしたのに、私の判断は間違っていたのではないか
私が弱らせてしまったのではないか
朝、薬を飲まなかっただけで叱ったしまった

あんなに元気だったのに。
薬なんてどうでもよかったのに。

こんな状態の娘を置いて帰らなければならないのは、本当に辛かったです。

帰り道の1時間半、私とパパは一言も喋らず帰宅しました。


ずっとずっと涙が止まらなくて
娘の姿が頭から離れなくて
娘が産まれてから今日までずっと隣で寝ていた娘がここにいなくて
入院するまで毎晩2人で寝ていたベッドに、娘の場所を空けて、娘が使っていた枕を抱きしめて休みました。