緊急入院 | 7歳で娘が小児がんに

7歳で娘が小児がんに

2021年7月、小学1年の夏休み目前で娘に腎芽腫(ウィルムス腫瘍)が見つかりました。
当時のことを忘れないためにここに残します。
また、同じ病気と闘った人と出会えたらと言う願いを込めて。。。


2021.7.15


ほとんど眠れないまま朝を迎えて
上の子2人のお弁当を作りました。
お兄ちゃんたちには、今日病院に行ってくることと、もしかしたら入院になるかもしれないことを伝えてお見送りしました。

紹介してもらった病院は自宅から車で5分ほど。
もし、入院になっても、この距離なら何とかなると思っていました。

この日、たまたま私の姉が休みだったので、車で送ってくれるとのこと。
いつも満車で駐車場が空いていないので助かりました。

紹介状を持って、病院へ。
土曜日だったので、救急外来へ向かいました。

家にいる時に熱を測ったら平熱でしたが、病院で測ると37.8度ありました。

発熱しているので、コロナの疑いもあるため個室で診察を待つように言われ、1時間以上待ち、やっと診察に呼ばれました。

そこで、簡易の超音波検査?しましょうと
お腹を出し、ジェルをつけて、みてもらったのはホントに一瞬でした。

「これは通院とかで治るようなものじゃないので入院です。
上に上がって、もっと詳しい超音波検査をして、入院の説明を聞いてください」

そう言われた瞬間みるみる娘の顔がくしゃくしゃになり、入院いやだよ……とボロボロ泣きました。
胸がキュっと痛くなりました。


PCR検査で、コロナ陰性を確認してから、次は詳しい超音波検査をしてもらいました。


お腹を見てもらっていると、ベッドとモニターがやっと入るくらいのスペースに、どんどん先生が入ってきます。
画像をみても何が何だかさっぱりわからない私は、5.6人の先生に囲まれて、押し出されるようにはしに座りました。
子供だから珍しいのかな?
ここはいつもこんなに先生がいるのかな?

まだ重大さがわからない私は、必死に独特の空気に気づかないようにしていました。

そして、その中の1人の先生に


お母さん、腎臓にできものがあります。
ここでは治療ができないから、今からこども病院に行ってください。

と、言われ、一旦家に帰りました。
姉がまた迎えにきてくれて、そのまま一緒に自宅へ。


こども病院は、市外にあり、高速に乗って1時間半ほど走った所にあります。


恐らく、入院になるだろうと思い、娘の服や必要なものを用意しようとするのですが、体が重くて重くて、胸が苦しくて、手につきません。
そんな遠い所に行って入院?
今日まで必ずママと寝ていて1度も離れた事がないのに?
付き添いは?
私はそばにいれるの?
息子や家のことは?
こども病院じゃないと治療できない病気って何?

娘を不安にさせないよう、一生懸命普段通りにしようとするのですが、考えれば考えるほどこわくて不安で体が震え、キッチンに隠れて泣きました。


そして、運転なんかできないだろうと、姉がまた、こども病院まで連れて行ってくれ、付き添ってくれました。
本当に不安だったのですごく心強かったです。
姉がいてくれて、良かったと本当に思いました。
姉は、うちの子たちを我が子のようにとても可愛がってくれているので、この時も私と同じように怖くて苦しかったはずなのに、それを見せず、明るく振る舞ってくれました。

途中、お昼ご飯の時間をすぎていたので、サービスエリアに寄り、それぞれ食べ物を注文しましたが、3人とも食べられず………
私も姉も、吐きそうになりながら無理やり詰め込みましたが、半分くらい残してしまいました。


こども病院に到着してからも、また超音波検査をしたり、のちに主治医となる先生の問診があったり、またPCR検査をされたり、結構長い時間外来であれこれして、病棟に上がったのですが、ほとんど記憶がないのです。

後日、姉から聞いた話によると、病棟に上がる前に個室に呼ばれ、何人かの先生に、恐らく悪性の腫瘍でしょうと言われたようなんですが、その記憶も全くありません。
個室に呼ばれたことも、その時娘はどこにいたのかも覚えてません。
こんな大切な事を覚えていないのに、問診をした先生がモニターしか見ていなくて、こわそうだなと思っていたらその先生が主治医だったとか、どうでもいいことは覚えていて……

この後も、入院した次の日に、血液腫瘍内科の部長先生とかえらい先生が娘をみにきたりするのですが、それも全く記憶になく、どんな話をしたのか、どんな顔の先生なのか、今も思い出せないままです。

ただ、娘を置いて帰らなければならないかもしれないとずっと思っていて、それがどうしても嫌で、病棟に上がった時に、お母さん付き添われますか?と聞かれて、はい!と答え、そばにいることができることにすごくホッとしたことは鮮明に覚えています。

病棟は、緊急入院となったため、救急病棟でした。
病棟に入った瞬間、頭の中で想像していた部屋とはまったく違い、絶句しました。
病棟全部が、ナースステーションから見えるような作りになっていて、仕切りや扉がありません。
カーテンはありますが、基本閉めてはいけない。
寝る前に閉めても、看護師さんに開けられてしまいます。
救急病棟なので、あちこちからけたたましく機械の音やアラーム音が鳴り響きます。
付き添いは、子供のベッドで添い寝です。


初めての入院に不安いっぱいで、姉が帰ってから静かにしくしくと娘は泣き続けました。
夜中も何度も目を覚まし、その度に大丈夫だよ、ママいるよ、と抱きしめて寝かせました。
娘が眠ると、娘の顔を見ながら私が泣きました。

パパには、逐一LINEで連絡をとっていて、この日も、仕事のあとにこちらに向かうと言っていましたが、遠いし、お兄ちゃんのことも気になっていたので今日は来なくていいと言いました。


この病棟には、1週間お世話になりましたが、本当に過酷でした。
プライベートもないし、寝返るスペースもなく、一晩で体はガチガチになりました。

そして、必死に入院準備をしたはずが、娘の着替えばかりに気を取られ、自分のものは何も持ってきていない事に気付き、スマホの充電器もなく…
あんなに付き添いたいと思いながら来たのに、自分のものは何一つ持ってこず、必死だったんだなぁとまた涙が出ました。