とある四十代女性の話を書きたいと思います。その人は旦那さんと大学生の息子さんと、旦那さんの両親と五人暮らしです。ただでさえ、本家の嫁、長男の嫁で大変なのにその人は視覚障害で目が不自由です。その人は結婚した当初、同居生活をなんとかうまくやろうと頑張っていました。やがて子供が生まれ、ますます同居生活を頑張っていました。息子が五歳の時に旦那さんの父親から「二人目を作ってくれ。」と言われたそうです。考えてみてください。二人目を作ってくれなんて旦那の父親に言われたらそれはもう、セクハラ、パワハラ、モラハラです。それに子供と言うのは神様からの授かりもので、そんな欲しいタイミングで授かるとはかぎりません。息子が小学生になる少し前にその人は二人目を妊娠しました。ところが、産まなくてはいけないというプレッシャーからすぐに流産してしまいました。それでも、その人はなんとか同居生活をうまくやろうと心がけました。しかし、あまりの心身のストレスから精神的に追い詰められ、ついには心療内科に通う事になってしまいました。その人が心療内科に通い始めてもうすでに十三年目です。どうして自分ばかりこんなに苦しまなくてはいけないのか。ただでさえ、同居で大変なのに、目がほとんど見えなくて、思うように動けないし、行きたいときに行きたい所にも行けない。そのうえ、精神的な病気にまでなってしまった。世の中は、どうしてこんなに不公平なのか。言いたいことをいう人間も多い。人の気持ちを考えない無神経な人間だっている。それなのに、どうして病気になったのが自分だったのか。その人は、考えました。そして想像しました。もしも、同居していなかったらと。旦那さんと息子さんと三人で暮らしていたなら、心がもっとらくだっただろうなと。自由に楽しく毎日を過ごせただろうなと。でも、そこまで想像して、はっとしました。もしも、同居していなかったら、自分はきっと一生同居生活をするお嫁さんの気持ちなんてわからなかったはずだ。大変だろうなってそれくらいにしか思わなかったはずだ。人は、いろんな経験から学び、気づき、そして成長していくもの。自分は同居しているから、旦那さんの両親にこんなことをされていやだったとか、こんなことを言われていやだったとか、そう思った。だったら、いつか息子が結婚する時には、息子のお嫁さんに優しくしてあげたい。自分がされたり言われたりしていやだったことや、傷ついたことは自分は絶対に息子のお嫁さんにしない。それが、息子と息子のお嫁さんのためになり、息子のお嫁さんに優しくしてあげることで、息子が幸せな家庭を築いていけるなら、息子はきっと幸せになるだろう。息子が幸せなら自分も幸せだ。そう考えると、今自分が苦しんでいることも、息子の幸せのためになっているはずだ。その人は、ついに悟りをひらいてしまいました。

でも、悟りをひらいた彼女でも、またすぐに同居生活で不満やストレスを感じると思います。でも、それが毎日を生きていくこと、生活すること、人生なのかもしれないですね。良い事ばかりじゃないけれど、いやなことばかりに心を乱されず、楽しいことを考えて一日一日人生という長い長い道をゆっくりと歩いてほしいです。これは、きっと同居生活をしていない人には理解できないことかもしれません。でも、人は苦しんだ分幸せになるごほうびがあるはずです。そのごほうびは老後におとづれるかもしれないけど、必ず神様は見ていてくれるはずです。皆さんも、どうか苦しいことにストレスに負けないで、きれいな花を咲かせましょう。