昨日、フォロアーが増えていました。ありがとうございます。

 

「もしも願いが叶うなら

吐息を白いバラに変えて

会えない日には部屋中に飾りましょう

あなたを思いながら」これは歌の歌詞です。昨日テレビを見ていてすごいなと思ってちょっと覚えました。この歌詞の「白いバラ」というのが、会えない切なさやさみしさを表現している気がします。これが、赤いバラならなんとなく情熱的でものさみしさを感じさせないんだろうなと思います。この歌のサビでは「ダイヤルまわして手をとめた」とあります。この当時ダイヤル式の電話で、きっと相手の電話番号を一つ一つ確認しながらゆっくりとダイヤルをまわして、それでも勇気がなくやっぱり電話をかけることをやめたのかなと想像します。今はスマホに相手の電話番号を表示させて、いつでもどこにいてもすぐに電話をかけたり連絡をとることができます。でも、この歌が歌われていたその当時はちがったんでしょうね。だとすると、恋愛のしかたも、友達関係も、仕事のやりかたも今とはずいぶんちがったんじゃないかと思います。

今読んでいる本は、昭和の終わりから平成にかけて出版された本なので、公衆電話を使うシーンがでてきます。携帯電話があればもっと便利なのになと思いながら読んでいます。でも、すぐに相手につながらないからこその、もどかしさとか情緒とかそういうものがきっとあったんでしょうね。

つい最近も「もしも」から始まる歌詞を紹介しました。今日も偶然「もしも」から始まる歌詞でした。それで気が付いたんだけど、「もしもピアノがひけたなら」とか、「もしも私が家を建てたなら」とか、昭和歌謡には「もしも」から始まる歌がいくつかあるなと思いました。今よりも不便だった時代だからこそ、想像力が豊だったんでしょうか。「吐息を白いバラに変えて」なんていう歌詞、私にはでてきません。すごい歌詞だなと思います。そうだな、私だったら、何を何に変えたいかな。そんなふうに考えてみるのも楽しいかもしれないですね。