九月が近づいてくると、毎年いやな気持になります。どうしてでしょうか。
昨日の二十四時間テレビ、チャリティーランナーで兼近が100キロマラソンを、走り向きましたね。最後のシーンで、子供のころ兼近の家が貧しくて、学校で必要な物も買ってもらえなかったり、お兄ちゃんとお父さんがキャッチボールをしているのを見て、うらやましくて始めた野球、小学校から中学まで唯一続けてきた野球を「もう、冷めた。」とうそをついてやめ、中学を卒業してから仕事をしたと言っていました。
中学を卒業してから、しゃかいに出るのは、勇気がいることだと思います。自分がしごとに行く時に、同じ年くらいの人が高校に登校する姿を見て「世の中って、こんなに格差があるんだな。」と思い、一度は道を誤ってしまった。でも、出会った人たちのおかげで、支えてくれた人たちのおかげで今、こんなにも人生を変えることができたから、自分の走る姿を見て、「貧困、格差、差別がなくなればいい」というメッセージを心に持ってマラソンを走りぬきました。私には兼近のメッセージがしっかりと伝わりました。感動しました。あの姿を私は政治家に見てほしいと思いました。
政治家は「貧困、格差」についてもっと真剣に考えてもらいたいです。そしてそのための制度を整えてもらいたいです。
二十四時間テレビって、いろいろな意見がありますよね。私は、病気の人を取り上げることにちょっといやだなと思う気持ちがあります。病気や障害を持っている人が、何かにチャレンジする姿は感動的です。でも、視聴者はその時感動するかもしれないけれど、それはその時の「同情」であって、本当にその人たち、例えば同じ病気を抱えている人のことを考えているのかなって疑問に思います。
例えば障碍者に対する「思い込み、誤解」これをもう少し、伝えてもいいんじゃないかとも思います。人は耳の聞こえない人は、手話ができると思い込みをしているところがあるかと思うけれど、手話ができない聴覚障碍者もいます。そういう人たちの日々の不便さ、苦悩、視覚障碍者は点字が読めると思い込みがちですが、じつは点字が読めない視覚障碍者がけっこう多いです。そして、白い杖を持つということにためらい、なかなか持ち歩くことができない視覚障碍者もけっこう多いです。それはなぜかというと、「自分が白い杖を持つことを、家族、親類、近所の人たち、友達はどう思うか」と、周りの目を気にするからです。二十四時間テレビにはそういうリアルな聴覚障碍者の声、視覚障碍者の声をもう少し伝えてほしいです。そうすることで、世の中にある健常者と障碍者の間にある大きくて高い壁がなくなり、もっとだれもが暮らしやすい世の中になるかなって思います。理解するというのと、同乗するのはちがうと思うからです。
世の中が本当の意味でバリアフリーになってほしいと願っています。