最近の息子
数年前に買った、通称『ねこ鍋』
一切見向きもしなかったけど、愛用しているお隣の、100均の猫ちぐらの不織布ボロボロで、ねこ鍋を引っ張り出して、私のお下がりタオルハンカチにマタタビの粉をふりかけ、置いてみた
やっと、初めて入ってくれたよ〜
ひんやりして、気持ちいいよね〜
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いろんなことを考えます…
師匠にご教示いただいたことや私の備忘録も兼ねて、upします。
低次元に影響されたこれまでの人生。
日向師匠や高次元に助けていただき、色々覚悟を決めないといけないこともたくさんありましたが、昨年スパーンと、切り離すことができました。
ほんま、かなりの改革やったし、これくらい経験しないと低次元を切り離せないんやなてことも、ほんまによくわかりました。
切り離したけど、その後の私の心根次第では、また低次元の影響を受けかねない…
私自身を俯瞰して…
『所詮、人間は人間』
『法律や世間で言うジョーシキなんて、所詮人間が作ったもんやろ』
なんて、ある意味バカにしてた時もあり
師匠 日向さんにももちろん助けて頂きましたが、他方でこうでも思わないと、昨年の大改革はとても乗り越えることができなかったな〜
人間、生まれた時から食欲という『欲』が出る。
『欲』は人間生きるためには必要。
つまり、人間も、高次元から見たら、低次元とまでは言わんけど、次元は低いわな。
この世の中には、もとい、人間を含めた自然界には、低次元なんてウヨウヨ。
ほんま、いつの世にも、高次元と低次元、互いに相見えることのない存在は存在するんよな〜
いろんなお話を周りの人たちにしますが…
『低次元を怖がる』てのは、ちょっと違うかなと。
だって、高次元からみたら、所詮人間も次元が低い生き物やから、低次元な生き物と言えるよな〜
所詮、同じ穴のムジナやで〜
なら、人間として、
低次元の正確な怖がり方
てのもあるかと。
人間と低次元と明らかに違うのは、人生修行次第で、魂レベルは上げられる
幸いなのか、人間はやり方次第で低次元に落ちることもあるし、頑張って頑張って、魂レベルを上げることもできる…
ある意味、中途半端な位置にいるなと
試練にぶちあたるのは、誰でも嫌やけど、試練がデカいほどいろんな学びに遭遇する。
ただ、その修行の中で、努力して、その時の自分のできる限りで掴み取るもんを掴み取り、それを後々人生に生かす。自分にも還元、周りにも還元。やり方は色々あるわな〜
これをやるかやらないかで、ほんまに人生変わると思うねんな〜
人間がほんまに怖がらないといけない低次元は、
○ 魂そのものが低次元という存在
○ 人をたぶらかせて、低次元の域に引き摺り込む存在
やと思うねん。
人間、欲があるから、欲て存在はどうしても低次元に対してスキを作ってしまう。
まして、この欲に飲まれて、魂レベルを落としてしまう…
修行もなんもせずにいたら、当然低次元の奈落に落ちるわな〜底なんてないくらい、低いところなんやろな。
欲にまみれたら、魂そのものが低次元になってしまうわな〜
そしたら、人間に怖がられる低次元になってしまう…
この方がよほど怖いわ
なので、生きるために必要な欲(食欲、睡眠欲…)を維持したまま、余計な欲を修行で持たないようにすることが大事ちゃうかな〜
そのためには…
まずは足元固め
所詮、人間も高次元から見たら次元が低い存在てこと。低次元の一歩手前のところにいる、て現実を認めるのが大事ちゃうかな。
その上で、いろんな場面で、これがなかったら…てことを想像してみる。
この人が居なかったら…
この物がなかったら…
あの人の助言がなかったら…
そしたら、『ある』ことの有り難みを感じることが出来る。
まして、命に関わる試練やったときには、なおさら『ある』ことの有り難みはハンパなくデカく感じるわな〜
そうやって、1つずつ想像してみる…
そしたら、この世で命あって、生かされてること自体が、どれだけ有難いことか、よく分かるようになる。
逆に、命あるから、生かされてるから、酸いも甘いも、いろんな経験させてもらえるんやし、やり方次第で、その経験から魂レベルを上げることもできる。
『生きてるだけで丸儲け』
地元奈良出身の明石家さんまさんの言葉。
ほんま、その通りやと、しみじみ思う。
私も『所詮、人間は人間』の人間。
だから、まだまだ人生修行。
生きるてことに抗えないんやから…
どうせなら、人生楽しみながら修行ぞ