昭和世代が気まぐれに語る世界

昭和世代が気まぐれに語る世界

動画全盛時代にあえて文章で語ります。教育、社会、音楽(クラシック)など雑多な内容なので興味のあるもののみ閲覧ください。

学校界隈では、実にでたらめなトラブルが頻発している。しかもネットニュースで目にしたものだけでもだ。

しかも容易な解決法があるのに、やけに深刻に考えている。教育オタクのような人もいるのだろう。

例えば、病院で手術ミスがあった場合、その対応策を吟味するのが当然で、トラブル防止のため手術禁止とはならない。だから難しいのだ。

しかし学校の場合、余計なことばかりして、トラブルを誘発している。トラブル防止よりそれ自体を無くせばいいのだ。まあ学校自体何とかする必要があるが、それはまたの機会に書く。

 

今回の話題、一つは給食関連である。アレルギーだの食中毒だのとトラブルが多い。まず同じ学校に通っているという理由だけで一斉に同じものを食べさせるのは、異常である。人によって体質も体調も違うのだ。そんなことがまかり通るのは、災害避難所で緊急に食事を用意する場合くらいだ。

学校の食事は持参、売店で購入、あるいは各教室に配達でよい。また別に昼休みに限らず、他の休憩時間に食べてもいいこととする。場所も外でベンチのある所や大休憩室のようなところで食べていいものとする。

好き嫌いをなくすとか、食事マナーを学ぶなどという役目はどうせ果たされていないので、気にする必要はない。ただ正規の授業で食事マナーや、栄養学のようなものは年に数回やったほうがよいだろう。

 

次に身体測定、健康診断。セクハラにおびえてまで学校でやる必要はない。年に1回以上、好きな病院で診察を受けることを義務付け、診察済の証明を学校に提出すればよい。そもそも体調に不安があれば保護者が医院に連れていくのが自然で、学校でのいい加減な診断は不要だ。戦後間もないころの非常事態の状況しか必要ない制度だ。

 

次に水泳の授業。学校でプールを管理し、授業するのは負担が重すぎる。年に何回か学校で指定した市町村内のプールに行かせればよい。小学生のみ好きな日に年3回程度行けばよい。内容は水難事故で助かる方法をメインとし、オリンピック競泳の指導のようなことは義務にする必要なし。学校で一斉にプール授業など虐待そのものだ。セクハラそのものである。

疑うなら、爺さんたちのSNS等を参照したい。プール授業で女子生徒を覗くことが、懐かしい思い出として、何の罪悪感もなく書いている。これこそ学校の水泳授業が救いようのない理由だ。

 

今回扱ったもの以外にも全く無駄なことだらけ。それが学校なのだ。そして無駄にトラブルを抱えるのだ。学校から無駄をなくそう。

 

外国からの観光客増加で、路上での飲酒が問題となっているようだ。これは必然ともいえる現象である。かつては経済的にも知的にも上位の人しかできなかった旅行が、庶民の娯楽となった。治安の悪化は必然である。昔の知的レベルの高い訪日客のイメージは即無くすべきだ。

 

さて、ようやく本題。

路上飲酒を法で規制すべきかどうかで、テレビのワイドショーで議論があったらしい。ここで注意すべき点がある。それは議論する人が、芸能人、コメンテイター、テレビ局の社員、アナウンサーといった人であることだ。テレビ番組なのだから当たり前だ。とはいえこれらの人々は、人前に出て目立つことが快であり正義であるという価値観を持っている。学生時代は酒を飲んで馬鹿騒ぎをして迷惑をかけていた人たちだ。つまり加害者だけで路上飲酒の是非を論じていることになる。

 

飲酒するにしても自宅で一人で、あるいは恋人と静かに飲むような人はテレビの仕事はやらないのだ。

 

したがってテレビでは、どうしても酒飲んで騒いで楽しむことを邪魔してはいけないという方向になってしまう。その行為で迷惑がかかった人への気遣いはゼロである。そしてあらゆる問題にテレビ・芸能ならではのバイアスがかかることが問題なのだ。どんなに俗悪でもまだyou tubeのほうが多様性では勝っている。

 

人間は自分の属している組織の常識に影響される。暴力団員は「お前、拳銃も使ったことないのか」と馬鹿にされるかもしれないが、一歩外に出ると拳銃を使わないほうがまとも人間とされる。

 

芸能界も同様で、「お前大学時代に気を失うまで酒飲んだこともないし、タバコも吸わず女遊びもしない。おかしいのか」と言われるだろうが、一歩普通の世間に出ると、別におかしい人間ではない。

 

テレビでのオピニオンは芸能界という特殊組織での異常な発言ということを考慮して楽しもう。

コロナ騒動が終わったわけではないが、忘れないうちに過去の総括をするべきである。

 

その際、テレビ・ネット・新聞などの情報が対象となる。

 

例えば、県外ナンバーの自動車をみると徹底的に嫌がらせをして締め出す田舎民などもいたが、彼らは今どう思っているのか。当時の情勢からしてやむを得なかったのか、それとも多少は謝罪の気持ちはあるのかという事も知りたい。

 

飲食店、例えばラーメン店でマスク着用を狂ったように強要する人もいた。今でもいるようだ。これなんかは完全に頭がおかしい。

 

まずどんな伝染病でも危険だと言うなら、国民全員は原則外出禁止にする。そして食料、および生活必需品は完全防備服を着た人が宅配する。このようにしろというのなら、それはそれで筋が通っている。

またせいぜい風邪のやや重い病だと言うなら、マスクなどせず堂々とラーメン屋に行けばよい。

ところが、ラーメン屋にのこのこ出かけて、そこにノーマスクの人を見つけると怒鳴りまくる。このような珍妙な人が大勢いるのだ。物を食べるときは一瞬でもマスクを外さなくてはならず、超危険なウイルスという設定ならこんなことでは命を落とすはずだ。外出時にマスク必修だが、飲食店で物を食う瞬間はマスクを外してもよい、そもそも少しなら外出可という時点で設定が破綻している。科学の無力さを実感する。

 

このようにある時は猛毒ウイルス、ある時はせいぜいマスク程度でなんとか軽減できるものというダブルスタンダードなのだ。

 

こんな事例もある。わしはワクチンを真面目に接種したのに、目の前で咳やくしゃみをされた。けしからんと言い出す人もいる。本来なら、わしはワクチンを接種した、だからコロナ患者と抱き合おうがどうしようが平気なのだとどや顔で言うべきではないのか。そんなにワクチン効果が弱いなら、相対的に副作用が無視できないレベルではないのかと思う。

 

まあそんなわけで、医者、専門家、マスコミのみならず、自称善良な一般人の言動も厳しく検証し、未来への教訓とすべきである。