朗報は突然やってきた。
9月15日(土)正午前のこと。
二男の口からである。
「生まれたらしいよ」
特別な感動も含めない言葉だった。
二男が運転する車内でのこと。
昼食を外食でとる。
それを兼ねて、3人でベビー用品を郊外専門店に移動している最中だった。
赤信号で車が停まった。
その時に、lineの着信音が鳴った。
それが一子誕生の情報だった。
私もオクサンもハンドルを握る二男も同じ音を聞いたはずだ。
私にはその音が聞こえなかった。
反応したのは二男だけだった。
そして、二男の言葉が冒頭のもの。
まさに朗報。
特別の朗報である。
昨日のブログ。
生れそうだが、もう少し時間がかかる。
休み明けの火曜日になるのではないか。
休日に医師は出産分娩を避けたがるので、そうなると思っていた。
これまでいろんなところで聞かされてきたためである。
二男の報告に対する私の反応。
「大事な情報をお前からなぜ聞かさせられなければならないのか」
いい情報なのだが、長男の子どもが生まれたことを二男の声を通して聞くことになったこと。
ちょっとだけ残念だった。
二男は戸惑った顔をした。
line情報を伝えただけではないか。
(このオヤジ何を言っているのか)
すぐに長男からオクサンに電話入った。
line情報以外に新生児を生んだパートナーのそばにいた夫としての出産状況を伝えたい。
無事に済んだこと。
パートナーも子どもも元気なこと。
よろこびの電話だった。
私は自分のズボンのポケットを探ったが携帯がない。
車内のシートにもない。
朗報受信のスマホがない。
私にとってよくあることだが、自宅の机に置き忘れていた。
連絡を受けるにもそれでは無理。
3人のうちで最も若い二男が情報をキャッチし、私たちに伝えたということだ。
そのあと、長男から新生児の写真。
パートナーと新生児の写真。
生れてきたことを喜ぶ鳴き声の動画が送られてきた。
この世に生まれた私。
1977年11月に結婚をして、東京を中心にした長い期間の家庭づくり。
47年も経って、2024年9月15日に長男夫婦が一子を得た。
私を生んだ母が2023年1月11日に逝去していた。
この朗報は私の75年の生命において新しい時代を始めるという知らせである。