九州北部地方梅雨入り翌日の東京行き     | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

九州北部への梅雨入りが宣言された翌日に佐世保を出た。

読みかけの「儒教とは何か」(中公新書)を片手に長崎空港からの機中の人。

大雨の東京が私を迎えてくれた。

 

 

6月18日(火)午前6時50分佐世保駅発の乗合ジャンボタクシーに乗った。

長崎空港行きのこの日の一番タクシーである。

予定通りの55分で出発ロビーに到着。

すぐにANA662便8時25分発のチケットを購入。

6K席に座った。

 

 

この便は10時頃に到着するので、東京活動に便利なようで、ほぼ満席。

線状降水帯が起きると予想された雲の上を飛んだ。

それなりに揺れたが、フライトスケジュールより10分早く到着。

降りる乗客の多くはもう仕事顔になっていた。

 

 

今回の佐世保行はさせぼ山手研究会総会開催。

斜面地再生に向けての活動のリーダーが変わること。

私にとっては佐世保に生活拠点を置くことをやめる。

東京多摩の家族との時間を増やしながら、これまでの私の半生を振り返る。

この総会をそんなケジメにしたい。

 

 

それでもさせぼ山手研究会のメンバーであることを続ける。

佐世保にいない私は少し離れた位置からこの研究会に関わる。

そんな思いで、動いた。

 

 

母の死がまだどこかに引っかかっている。

49日が終わり、初盆で船を出した。

今年の1月7日に母の一周忌を終えた。

私が通っていた診療所が3月に閉鎖したので、東京多摩の循環器科に主治医を移した。

母の土地の一部を私が相続した。

6月15日のさせぼ山手研究会総会でリーダーを降りた。

これらは母との別れから始まったことである。

 

 

私にとってふるさとは母だった。

佐世保に住む母だった。

それを失って、1年半。

まだ母がどこかに引っかかっている。

 

 

儒教の入門に当たる本をほぼ読み終えた。

母の死の喪がまだ明けていないのではないか。

宗教性に注目するその本では、父母の喪に服する期間は25カ月だという。

そうだとすれば、母の喪が明けるのは三回忌の時になる。

 

 

東京行きのこと。

18歳で東京に行き、65歳で弘前から東京経由で佐世保に戻った。

そして、10年目の75歳の私。

ふるさとを出るのが2度目。

 

 

母のことが引っかかっている。

それがはれるのは2025年1月11日の母との別れの喪が明ける時なのかもしれない。

悪天候の中を東京に帰還しながら、そんな思いをしていた。